「親の愛情不足」の中で育った子に見えがちな特徴 安全基地になれない親は「精神的に未熟」〈再配信〉
本来であれば、だれよりも信頼でき、愛情やなぐさめを与えてくれるはずの存在である親が、まるで背負わされた十字架か、鋼鉄の足かせのように、その人の自由を奪い、文字どおり足を引っ張っている状況も珍しくない。(「監訳者のことば」より)
【東洋経済オンラインで2023年6月21日に公開した記事の再配信です】
『親といるとなぜか苦しい: 「親という呪い」から自由になる方法』(リンジー・C・ギブソン 著、岡田尊司 監訳、岩田佳代子 訳、東洋経済新報社)の監訳者である精神科医の岡田尊司氏は、本書の冒頭にこう記している。
足かせのような親の支配は幼少期から始まる
その支配の始まりは、子どもがまだ無力だった幼少期にさかのぼるものであるようだ。いうまでもなく、小さな子にとって親は神のような存在。
衣食から安心感まで、生きていくために必要なすべてのものを与えてくれ、守ってもくれ、そして定められたこの世のルールに反した場合には裁きや罰をくだしたりもする。
そこには疑う余地もないから、幼い子は自分の間違いを受け入れなければならない。絶対的な存在である親が間違うはずはなく、また勝ち目もないので、子どもは「間違ったことをしたのは自分だ」と認めることになるのだ。
だが一般的に、健全な成長を遂げた子どもは10代に入るころから気づきを得ることになる。結局は親もただの人間で、間違ったこともすれば、おかしな部分も持っているのだと客観視できるようになるのだ。
すなわちそれが、ほどよく愛され、ほどよく満たされながら、バランスよく成長した人のあり方なのだろう。
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