生成AI出現が問う「学校の宿題」をすることの意義 なぜ宿題をするべきか大人は答えられるか?
いったい何をもって真に「人間オリジナルの創造物」と言えるのか?
生成AIを使って創造したものを、そのユーザーの「作品」と呼ぶか否か?
こんな議論が早くも芸術界、文芸界をはじめ各界で巻き起こっています。生成AIを大きな驚きと警戒感をもって受け止めているのは、教育界も例外ではありません。生成AIの使用を認めるべきか、禁止すべきか──すでに国内外の学校、自治体、政府で対応が分かれています。
EU諸国では早くも、学校に限らず国民にChatGPTの使用を禁止、制限する動きが見られました。また、アメリカのニューヨーク市やシアトルでは、同域内の一部の公立校の端末からChatGPTにアクセスすることを禁止しています。
さらに中国では、あまり不思議ではありませんが、ChatGPTへのアクセスがブロックされています(いずれも2023年10月時点での状況)。
一方、日本では、比較的歓迎されているといっていいでしょう。2022年のリリース直後には、SNSに「ChatGPTにこんな指示を与えたら、こんなすごいことになった」といった投稿があふれかえり、仕事の能率、生産性が上がるという感激の声もよく聞かれます。
ただし、とりわけ日本の学校や教師を悩ませているのは、「宿題をどうするか」という問題です。生成AIを使えば、算数ドリルも自由研究も読書感想文も、生徒がほとんど頭も手も動かすことなく完成してしまう。
それでは宿題の意味がないということで、2023年6月、ちょうど夏休み前の時期には、東京都教育委員会が文部科学省に先駆け、全都立校に「宿題における生成AI使用への注意喚起」を通達しました。
「使ってはダメ」では防げない
その後、2023年7月には文科省が、「初等中等教育段階における生成AIの利用に関する暫定的なガイドライン」を公表。教育現場にいる人なら、すでにご存じかと思いますが、次のような内容になっています。
・英会話の相手として使うこと。
・「情報モラル」を学ばせるため、あえて生成AIの誤った回答などを使って、その性質や限界について生徒に気づかせること。など
・生徒が読書感想文などのコンクールやレポートを提出する際、生成AIが作ったものを自分の成果として提出すること。
・定期考査や小テストなどで子どもたちに使わせること。など
いずれも妥当な内容といっていいでしょう。
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