「底辺高校から同志社」バカにされ続けた彼の意地 「大学に進学すること自体が夢物語だった」

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「いちばん偏差値が下のコースに入ったのですが、40人中27番くらいの成績でした。大学に進学することすら夢物語でした」

当時、偏差値35だった高校でも真ん中より下というきびしい現実に打ちひしがれていた櫛山さん。しかし、彼は決して希望を捨てませんでした。得意の日本史だけは、全国でもトップレベルだったからです。

「外に出て遊ばない子どもだったので、夕方にテレビで放送される政治や経済などのニュースが楽しみでした。そこから歴史に興味を持ち、親に本を買ってもらって読んでいたんです。だから、歴史は『勉強をした』という感覚はまったくありません」

高校に入ってからも興味を突き詰めていた彼は、参考書を買って、自分自身の知的好奇心を満たすために、勉強していたそうです。その甲斐あってか、高校2年生のときに受けた旺文社の全国模試では、英語の偏差値27、国語の偏差値43に対して、日本史は67.9という好成績を叩き出しました。

「高校2年生からは、ずっとクラスで成績がいちばんだった」と語る彼。「学校は3年生から日本史Bの授業が始まった」と語りますが、独学で高校日本史の範囲をすべて終わらせていた彼は、3年生になってからの模試では偏差値75を切らなくなったと言います。

とはいえ、英語と国語に関しては勉強をまったくしておらず、偏差値は横ばい。1日の勉強時間が平均10分だったと語った彼は、現役時の受験では早稲田大学を2学部、立命館大学・近畿大学・島根大学を受けて全滅だったそうです。

「高校3年生の最初のころから1年では受からないと思っていたので、最初から浪人を覚悟していました。理想は高くても行動に移せなかったので、心の中で甘えがあったんです」

今生きている環境と違う世界に行きたい

こうして河合塾で浪人することを決断した櫛山さん。その理由については「バカにされたくなかったから」と語ります。

「自分自身が凡人だとわかっていたので、そんな自分が頑張れることといえば勉強しかないと思っていました。今生きている環境から違う世界に行きたかったので、大学に行きたいと思っていました。このままやめたらずっとバカにされ続ける人生を送るので、やめるわけにはいきませんでした」

とはいえ、1浪のときの意識も大きく変えられなかったそうです。

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