子どものケンカ「仲直りを促さない」凄い教育の訳 工藤勇一×西岡壱誠「教育の役割」対談【中編】
工藤:逆に言えば、自分で勉強する気のない子は、従来のような授業を受ければもっと勉強しなくなるだけですよ。
学校が変わって、社会が変わる
工藤:うちでは、学校説明会や入学式で「勉強したくないならしなくていい」と話します。授業中に小説を読もうがゲームしようが、他人の邪魔にさえならなければ怒りません。
ただし、他人が勉強したい自由を妨げる自由はないとはっきりと教えています。もちろん、そうした場合には、教員が介入します。
似たようなことは日頃の生徒指導でも教えています。例えばケンカです。ケンカが起きた時は、「先生はケンカを止めに入ることはできるけど、始まることを止めることはできないよ」「それを止められるのは君たち自身だ」ということを機会あるごとに繰り返し教えます。
生徒たちに対しては、指導というより常に支援を重視しています。殴り合いが起こった時には「運が悪ければ取り返しがつかないような大怪我をするよ。怪我をしたほうは当然つらいけど、怪我をさせたほうだってつらい。君のそういう姿は見たくないんだけどな」という話は常にします。
中学は体も急激に成長する時期です。子どもたちには体が大きくなれば自分の体が大きな破壊力をもつ凶器に変わるという事実を教え、自分を客観視する力を持たせたいと考えています。
仲直りをさせる支援は基本的にしません。暴力を続けることはまったく得にならないということに目を向けさせ、互いに「もう殴り合いはしたくない」と言えば、「それなら一致しているね。同じ考えなら何とかなるんじゃないか」と助言します。
西岡:利害の調整をしてあげるわけですね。
工藤:そうです。概念化してあげて、あくまでも自分で考えて、自分で決めたことを手助けするのです。
こうしたことを繰り返す中で、子どもたちは自分をコントロールできるように成長していきます。保護者の方々はこの一連の流れと自分の子どもが成長する姿を見て、次第に大応援団に変わってくれます。
西岡:保護者も一緒に、トラブルも経験しながら教育の価値観を変えていくわけですね。社会にとって非常にプラスですね。
工藤:学校教育が変われば、社会は変わります。民主主義のプロセスをきちんと言語化できた子どもたちを社会に大量に放出すれば、それぞれの会社や組織を改革してくれます。国を背負って政治家になる子もいるでしょう。
ヨーロッパの学校教育が努力しているように、民主主義を体験的に正しく学んだ子どもたちが社会を埋め尽くしていくことによって、未来の社会はブラッシュアップされていきます。だからこそ、学校教育は重要なのです。
(後編に続く 構成:泉美木蘭)
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