「人のせいにする子ども」大量に生んだ日本の教育 工藤勇一×西岡壱誠「教育の役割」対談【前編】
子どもの主体性は幼少期の「教育」によって奪われる
西岡壱誠(以下、西岡):工藤先生は、「自律」という言葉をよく使われますね。子どもが自分で考え、自分で選択するということが教育の本質であり、理想であるというお考えに共感します。
工藤勇一(以下、工藤):自律と言うと、規則に沿って厳しく自分を律するというイメージがあると思いますが、僕が言っているのは、人の力を借りながらでも、自分で考えて判断し、決定して行動すること。自分で自分をコントロールして歩いていけるような人間になろうよという意味です。
西岡:学校教育についてはどうお考えですか。
工藤:学校の存在意義は、2つあると考えています。1つは、子どもたちの可能性を引き出し、その子が幸せになれるような力を身につけさせること。
自律にとっていちばん大事なのは主体性です。教育関係者から、「主体性のない子どもの主体性を育てるにはどうすればいいのか」という質問を受けることがありますが、そこには大きな間違いがあります。
もともと人間は、生まれたときから主体的な生き物です。赤ちゃんは、放っておいてもハイハイし、歩き、やがて教えなくても言葉を覚えて話しはじめます。ところが、そこに大人のお節介が加わってしまうと、せっかくの主体性が次第に失われてしまうのです。