「人のせいにする子ども」大量に生んだ日本の教育 工藤勇一×西岡壱誠「教育の役割」対談【前編】
西岡:僕は、時代の変化が影響しているのではないかと考えています。少子高齢化によって子どもの数が少なくなり、1人の子どもに対する大人の目線が増えています。子どもから見れば、自分の意志決定に多くの大人が関わるようになり、のびのびできなくなっているのではないでしょうか。
工藤:そうですね。時代の変化は影響していると思います。
大人に期待しなかった時代
工藤:特にメディアの責任は重いでしょう。僕は「金八先生」というドラマが好きじゃないんですよ。
西岡:えっ(笑)。
工藤:仕方ないことですが、金八先生はハートのある素敵な先生で、他の先生は冷めた日和見のような存在。そして、教育委員会はトラブルを防ぐために防衛だけをやっていて、子どもたちの味方でも、学校の味方でもない。そんな対立構造が作られてしまっています。
ですから、子どもたちは、大人たちや学校はダメなところと自ずと先入観で見てしまうようになるんです。でも僕の子ども時代、そもそも嫌な大人なんて周りにいっぱいいましたし、そんな大人たちに何かを期待しようなんて考えもしませんでしたよ。
西岡:なるほど!
工藤:自分の人生は、自分で何とかするものだという感覚も子どもながらに持っていました。友達とケンカしても、それを親に言うのではなく、自分でどう解決するかを考えるのが当たり前でした。
ケンカしたら、「卒業まであと数カ月だし、まあいいか」とか、「仲直りしたくないけど、今後の学校生活を考えれば、一言謝っておくか」とか、みんな自分の頭で考えたわけです。
だからと言って、昔の教育を肯定しているわけではありません。当時は、今以上に酷い教育がそこら中にありました。授業はめちゃくちゃ、暴力を振るう教師もざらにいました。僕自身、体罰は相当受けましたが、体罰に感謝したことなど一度もありません。
まれに子ども時代の厳しい先生を思い出して、「あの先生のおかげで立ち直った」なんて話を聞きますが、僕自身はまったく理解できません。
西岡:まさに金八先生のような方ですね(笑)。
工藤:今は、いい意味で社会が教育に関心を持ち始め、ダメな先生をきちんと叩いてくれるようになりました。授業だって、今の先生たちのほうが昔の先生たちよりはるかにうまいし、真面目で常識的です。僕らが子どものころに比べれば、はるかにいい時代です。
でも、大人に期待しないというのは、実はすごく大事なことです。期待する人間は、サービスを求めたくなり、「あいつがダメなんだ」と否定ばかりしますからね。
そういった意味で、昔のほうが、自分の力で何とかしなきゃと考える自律した子どもがたくさんいたと思うわけです。
西岡:自分の人間関係は自分で構築して、自分が生きやすいようにするためにはどうすればいいかを自分で考えていた時代があったわけですね。
(中編に続く 構成:泉美木蘭)
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