営利と非営利をはっきり2つに分けられない理由 「国家や株式会社」がどうしてもできないこと
青木:そうですよね。やはり民主主義と資本主義がセットになって考えられていますけど、実は民主主義には別の側面もあります。資本主義は基本的に、労働したら対価があるというふうに交換原理で成り立っています。
でも、のりさんが言っている非営利って交換原理ではないのだと思っています。あえて合理的に説明するなら、「損して得取れ」に近い気がします。日本近世の商人文化には、「商売をするためには根本の社会を継続させなきゃ意味ないでしょ」っていうマインドがあったと思うんです。でも現代ではグローバル経済のように、個人的な利益の追求が肯定され、社会を破壊してもなおその追求が続くようになってしまった。これは明らかにおかしいですよね。
今井:本当ですよね。近江商人の三方良しって「売り手良し、買い手良し、世間良し」というように、ちゃんと世間が入っている。この時代に比べて現代の利って極めて個人主義的になってしまっています。しかも、三方良しって別に非営利だと思ってやっていないのではないでしょうか。確かに利を追求しているんだけど、社会の存在がその前提にはあるんですよね。
本来は目に見えない信用を可視化した「暖簾」
青木:ものすごいざっくり言っちゃうと、株式会社とかグローバル企業、それへのブレーキとしてSDGsがあるんでしょうけど、全て西洋的な文脈なのではないかと思います。
でも近江商人の「三方良し」的な価値観は日本的文脈なのか東アジア的なものなのか、どのくらいの汎用性があるのかわかりませんけど、少なくとも西洋的なものとは異なるんでしょうね。
それに関連しますけど、この前この本の著者の平川さんとお話ししたときに、西洋にはないけれど日本にあるものとして「暖簾」があるとおっしゃっていました。かつては会社が傾くとその暖簾を質に入れて運営資金を調達していたというふうにおっしゃっていて。
だから暖簾って本来は目に見えない信用というものを可視化したものなのだと思うんです。ビジネスにおいて数値化できるものと数値化できないものってありますよね。数値化できるものが収支だとすると、信頼は数値化できません。
今井:非常に面白いですね。東洋的ビジネスというか商売に、現代社会の矛盾や格差を是正するようなカギがある気がしました。そこに日本の企業経営者が語れる文脈がもっとありそうですね。そういう意味では日本の経営者が、この株式会社の500年の歴史に乗っかりすぎているっていうところもありますよね。
青木:さらにのりさんに聞きたいこととしては、非営利と公共についてどう考えていますか? 同じものなのか違うものなのか、いかがでしょうか?