営利と非営利をはっきり2つに分けられない理由 「国家や株式会社」がどうしてもできないこと
今井:難しい質問ですね(笑)。学術的な文脈ではなくて自分の中でのイメージになってしまいますが、非営利の活動が公共を一部つくってきたと思っています。
医療とか学校教育など公共的なものの一部は、民間がつくってきた歴史がある。
例えば、日本だと大原孫三郎が児童養護施設の原型になる孤児院をつくっているし、別の事例だと大阪の橋なども挙げられます。寄付だったり、贈与と言っていいのかわからないけど、市井の人たちがみんなでお金を出し合って、公共というものをつくってきたという事例が多くあります。
今の福祉制度とか、行政がやっていることが公共的なものだとすると、それはまず非営利という形でつくられて、その後で公共的なものになっていったというのが僕の理解でした。
営利と非営利のあわい
青木:みんなでお金を出し合うことが公共的なことだとすると、かつては伊勢講とか、富士講というものがあって、富士参りとか伊勢参りといった参詣のために、地域でお金をプールしておいて順番に出かけていったということもありますね。これも非営利と公共がつながっている事例です。
もっと起源的な話をしてしまうと、例えばメソポタミア文明の発祥は神から権力を与えられた神官が、敵の攻撃や自然災害からみんなの命を守るために城壁をつくったり、川の流れを変える工事をしました。都市文明ではこれが公共事業の始まりとも考えられています。
小さな額のお金でもみんなが出し合って支え合うという公共の形もあるし、権力が介在することで大きな公共事業を行う場合もありますね。
今井:そう考えると営利活動と非営利活動ってはっきり二元的に分けられるものではなくて、その間にだいぶグラデーションもありそうに思いますね。
青木:そうですよね。あと少し違うかもしれませんけど、さっきの三方良しみたいな考え方は、やはり社会の内側の話だと思うんです。でも当時も被差別部落とか、社会の外側とされてきたものもありました。そういう意味で、当時被差別の部落の支援をしている人がいたらそれも非営利活動ということになるのかもしれないですよね。
今井:わかります。もしかしたら非営利ってその時代にない仕組みとか、足りていない部分を支援したりするっていうことなのかもしれないですね。僕自身のことを考えても、国家とか株式会社がどうしてもできないこと、しないことをこの10年以上やってきている感覚はありました。そこはすごく重要だと思います。やっぱり人と人が支え合える仕組みをつくるのが、非営利セクターなのかなって思います。