「日本の民主主義」は中国思想と深く関わっている 儒教の精神は「封建主義」ではなく「個の確立」だ

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佐藤:ただし中国思想を現代日本に当てはめることで、世の中を良くする指針を提示しようとする試みが、どこまでうまく行ったかは、正直引っ掛かるところがあります。

佐藤 健志(さとう けんじ)/評論家・作家。1966年、東京都生まれ。東京大学教養学部卒業。1990年代以来、多角的な視点に基づく独自の評論活動を展開。『感染の令和』(KKベストセラーズ)、『平和主義は貧困への道』(同)、『新訳 フランス革命の省察』(PHP研究所)をはじめ、著書・訳書多数。さらに2019年より、経営科学出版でオンライン講座を配信。『痛快! 戦後ニッポンの正体』全3巻、『佐藤健志のニッポン崩壊の研究』全3巻を経て、現在『佐藤健志の2025ニッポン終焉 新自由主義と主権喪失からの脱却』全3巻が制作されている(写真:佐藤健志) 

まず思想の力で、どこまで社会をつくれるものなのか。人間は理性的能力を駆使して、思い通りの社会をつくれるはずだという「設計主義」は、歴史において繰り返し失敗しています。むしろ社会のあり方が、人を特定の思想に向かわせるのではないか。主体的に思想を構築しているつもりでも、じつは社会の手のひらで踊っているというわけです。

それから「自己実現をめざして、ひたむきに生きることこそ、自分の属する組織や、ひいては社会全体がよくなることにつながる」という結論ですが、この主張が成立するためには条件がある。すなわち「合成の誤謬」が起きないことです。みんなが個人レベルでひたむきに生きたら、本当に社会は調和するのか。逆に対立が激しくなって、社会はむしろ乱れるというのが、世の偽らざる真実ではないのか。

もっとも私は、このような疑問ゆえに感銘を受けたんですよ。つまり人間は思想の力で現実を制御すべく、あるべき生き方や社会制度をいろいろ考えるものの、結局は現実の前に敗北する。人智の限界というやつですが、現実を制御する必要がある以上、思想を捨て去ることはできない。敗退の運命が待っているとしても、思想と関わり続けるのが人間の宿命なのだと腑に落ちたわけです。

けれどもそうなると、思想が社会を制御するのではなく、社会が思想を制御するのではないかという点を、あらためて提起しなければならない。例えば韓非子の法家思想。これは秦国の思想となります。そして秦は天下統一に成功した。しかしこれは、秦が法家思想の力で天下を統一したことを証明するものではない。

外的条件が思想を選ぶ可能性

佐藤:即物的な話ですが、秦は他国よりも優れた武器を大量に生産できたのではないか。もっと言えば、それだけの産業基盤を持っていたから、法家思想を取り入れたのではないか。法家思想は誰もが分をわきまえることを強調して、傑出した個人というものを否定しますが、私はここで2002年の中国映画『HERO』を思い出しました。天下統一の直前、秦に滅ぼされた国々の英雄が秦王暗殺をもくろむ話です。

これらの英雄はまさに一騎当千、無数の敵をどんどん倒す。他方、秦の軍隊にはそういう人物がまったくいない。にもかかわらず、なぜ戦争に勝ってきたのか? 劇中の台詞によれば、秦の弓矢はほかのどの国のものよりも遠くへ飛ぶからなのです。

こうなると、英雄は要らない、いや存在してはいけないという話になる。英雄がいれば、次に始まるのは英雄崇拝です。英雄を担ぎ上げ、王位につけたがる連中が出てきたらどうするか。傑出した個人を否定する法家思想が魅力的に見えてくるのも道理でしょう。

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