高羽:貧困の中でも必死に生きようとしている人たちを「たくましい」と捉えるのは、そのたくましさに乗じて「応援してるから、がんばってね」と突き放すことに繋がりかねません。貧困は社会全体の問題なのだから、個人の問題として当事者にすべてを背負わせるのは間違っていますよね。そういうところも含めて、1話ごとに見終わった後、いったん立ち止まって考える時間を設けたくなるような作品になってくれたらいいなと思いながら執筆しました。
弱者が弱者を叩くという現実
青木:高羽さんから、貧困女性のための衣服などの提供や炊き出しで、明確な敵意をもって妨害してくる人、特に男性が少なからずいるという話を聞いたときは驚きました。
高羽:しかも、いわゆる社会的強者が自己責任論を振りかざして「甘ったれるな」と妨害してくるのではなく、「女ばっかりずるい」「自分だって大変なのに」といった嫉妬がらみで妨害する人が多いそうなんです。
青木:さまざまな事情で困って支援を受けている人たちを、別の困っている人たちが悪意をもって叩くという、とても悲しく殺伐とした現実がある、ということですよね。
高羽:こういう話を耳にしてしまうと、いったいどこから手を付けたら社会はベターになるのだろうかと途方に暮れそうになりましたが、日本の貧困というものを、そこに含まれる多面的な問題も含めて、よりリアルに感じられる取材となりました。
青木:支援団体の人たちの取材で、他に印象に残っていることはありますか。
高羽:「ここに、あなたを支援したい人がいますよ」というメッセージを送り続けて、一人でも多くの困っている人が繋がってくれたらいい、と口を揃えておっしゃっていたことです。貧困はデリケートな問題です。いくら「あの人は最低賃金以下の生活をしている」と見定めても、一方的に乗り込んで解決策を示すのは善意の押し売りです。
青木:確かに、ある種の暴力性を伴う行為とも言えますね。