そろそろ行けるかもしれない、という連絡を留学エージェントにもらったのが、2021年の冬。当初はメルボルンで英語教育の厳しさで定評のある語学学校に入ることを予定していた。だが、コロナ制限がまだ厳しかったため、シドニーに変更。2022年3月に入国した。
「滞在先をメルボルンからシドニーに変えたのは1カ月前。ホームステイ先がわかったのは、1週間前。ギリギリ、ドキドキの中での出発でした。飛行機が飛ぶ直前まで、実際に入れるかどうかもわからない、という状況でした」
古河さんは、いろいろなことがまだはっきりしない中で、リスクを取ったのだ。だが、だからこそリターンがあった。
語学学校は4カ月通った。おかげで英語をしゃべることの怖さがなくなった。何より幸運だったと思ったのは、日本人がいなかったことだ。
「入国が始まったばかりでしたから。学校でも、外国人しかいない。おかげで英語を話すしかなかったんです」
「バリスタをやりながらビザが取れるなら最高」
住むことになったシェアハウスにも恵まれた。イタリア人、スペイン人、オーストラリア人の4人で暮らした。ここでも、英語でいろんなコミュニケーションができた。
学校に通いながら、2カ月目からアルバイトをスタートさせる。学校近くにあった日本食レストランだ。オーナーは日本人。
「日本人のお客さんはほとんどいませんでしたが、ホールスタッフは全員日本人でした。日本人は熱心に働いてくれるから、と言われていましたね。実は今はカフェでフルタイムで働いているので、なかなか難しいんですが、人が足りないときには今も声をかけてもらったりします」
カフェで働くことを考えていたのに、日本食レストランでアルバイトを始めたのは、理由があった。すぐにシドニーを離れることを考えていたからだ。
当初から、2年目もワーホリで滞在できる「セカンドビザ」の取得を考えていたのだ。だが、地方都市での果物や野菜のピッキングなどのファームジョブは気が進まなかった。
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