おしゃれな街「自由が丘」密かに抱いていた危機感 高層ビルなかった街が大型再開発に踏み切る訳
その結果が現在進んでいる再開発である。再開発はデベロッパーや自治体から地元に声がかかり、彼ら主導で進んでいくことが多い。だが、自由が丘では主体は地権者。このままではまずいという1人の意見に徐々に地域の人たちが賛同、みんなで解決策を模索した結果、自分たちで開発を決めたのである。
再開発と言いながら、実態は共同建替えに近く、自分たちが所有している土地を鑑定、その評価分を再開発後の床と交換すると考えると等価交換とも近いと岡田氏。かなりの商店主が新築後の建物で商売を再開する予定になってもいる。
地元で声が上がり、それで地域がまとまるという流れが生まれた背景には自由が丘の商店街の立地と歴史がある。
自由が丘はターミナル駅ではあるもの、世田谷区との区境近くにあり、自治体が何か施設を作ることもなければ、大手資本が進出することもなく、街の繁栄は商店街にかかっていた。自分たちでやるしかないということである。
12の商店街が「団結」
その結果、自由が丘の商店街は団結した。現在、自由が丘には最少10人、最多380人という12の商店街があり、それを束ねる形で自由が丘商店街振興組合がある。会員数はコロナ禍で少し減ったものの1250人ほどでおそらく日本でも最大級の商店街振興組合である。
それだけの商店街がまとまって動けばインパクトは大きい。たとえば自由が丘では季節に応じて8つのイベントが開催されているが、そのうちでも最大規模の「自由が丘女神まつり」の来場者数は約50万人以上とも言われるほど。隣り合う商店街はたいていの場合、仲が悪いものだが、自由が丘では一緒になって街を盛り上げ、それで成功してきた。一体感がある街なのである。
イベント、祭り以外にも夜間のゴミ収集事業、個店の煩雑なカード決済業務を引き受けるカードビジネス、その他、商店街振興組合はさまざまな事業を行っており、前述のまちづくり会社も商店街発。2002年から商店街が行政、鉄道会社その他地域の関係者と連携、まちづくりを先導してきた。自らの発意による再開発もその流れなのである。
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