おしゃれな街「自由が丘」密かに抱いていた危機感 高層ビルなかった街が大型再開発に踏み切る訳

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特に1980年代には1970年代創刊の「anan」「nonno」「JJ」などといった女性誌にファッションの街、雑貨の街として頻繁に取り上げられた。ロケ地としてテレビドラマに登場することも増え、全国的に知られるようにもなった。同時期には人気絶頂だった松田聖子や俳優の津川雅彦が店長を務める店なども誕生、街中には行列ができたものである。

その後、2003年に自由が丘スィーツフォレストが誕生。スイーツの街としても知られるようになり、現在は美容室が100軒以上、それ以外にネイルやエステのサロンも集積する街になるなど、新しい顔を見せるようにもなっている。

自由が丘
スィーツのまちとしての自由が丘の名を高めたスィーツフォレスト。まちのキャラクターも洋菓子にちなんだ「ホイップるん」だ(写真:筆者撮影)

新宿や池袋、二子玉川、武蔵小杉との競争

だが、ここ10~15年、このままでいいのかという議論が起こってきたと、自由が丘のまちづくり会社で都市再生推進法人であるジェイ・スピリットの岡田一弥氏は言う。

きっかけは東急線の相互直通運転だった。新宿や池袋など他の魅力的な商業地域とダイレクトにつながることになり、これまで並び称されてきた代官山、下北沢などとは異なる、より広範な地域間での競争を意識せざるをえなくなったのである。

加えて二子玉川や武蔵小杉の変貌もあった。

「自由が丘は鉄道、道路といったインフラが整備されないままにきた街。課題である迷路のような細街路の魅力を武器に専門店の集積として発展してきましたが、一方で諦めてしまったものもあります」と岡田氏。

「かつて6館あった映画館は今はゼロ。大きな床がないのでホテルも、オフィスもありません。駐車場、駐輪場も足りない。生鮮三品を扱う店も以前からの店はほぼ死滅している状態。対して二子玉川や武蔵小杉にはそうしたものが全部揃っています」

地域の大地主、不動産会社の経営者でもある、まちづくり会社を牽引する岡田一弥氏(写真:筆者撮影)

周囲の変化に対する危機感に加え、この10年ほどは建物の老朽化が進んでもいた。建て替えを考えても駅前では交通を遮断するわけにいかないため、単独建替えは難しい。さらにいつ始まるかわからない都市計画道路工事もある。そうした諸問題を解消、建物を更新するためには共同で建替えるしかないという声が出ていた。

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