湘南の交通拠点、大船はなぜ「昭和の面影」が残る? JRやモノレール乗り入れ、だが再開発は進まず

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橋上駅舎化前の大船駅
1971年に橋上駅舎に建て替えられる以前、木造駅舎だった国鉄大船駅と駅前広場(写真提供:鎌倉市中央図書館)
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現在は鎌倉市の一部になっている大船が町制施行し、大船町となったのは1933年。90年前のことである。2021年に全線開通から50周年を迎えた、大船駅を起点とする湘南モノレール(2023年6月16日付記事「湘南モノレールは『海岸』まで延びる予定だった」)の記念誌や書籍を執筆する過程で、筆者はこの大船の街の歴史に大きな関心を持った。

湘南モノレールが開通した半世紀前の大船は、交通の要衝として発展著しい時期だった。まず、1966年5月にはドリームランドモノレール(大船―ドリームランド間)が開業した(残念ながら約1年半で営業休止)。続いて1970年3月、湘南モノレールが大船―西鎌倉間で部分開業する。

1971年4月には、東海道線の線増工事と関連して、それまで木造の小さな駅舎だった大船駅が近代的な橋上駅舎に建て替えられ、さらに同年7月、湘南モノレールが湘南江の島駅まで全通した。そして1973年4月、大船の人々待望の国鉄根岸線(当時は桜木町―大船間を結ぶという意味で「桜大線」とも呼ばれた)が大船までの延伸・全通を果たす。2023年は根岸線全通から50周年の節目の年である(2023年4月9日付記事「地味だが便利な『横浜市民の足』根岸線の7つの謎」)。

半世紀ほぼ変わらない街並み

当時、根岸線および湘南モノレール沿線では、大規模な住宅地造成が進むなどしており、その後の大船駅の大幅な利用増が見込まれていたことから、交通広場(バスロータリー)や都市計画道路の整備を含む駅東口周辺の再開発計画が持ち上がっていた。誰もが街の近代化が進むことを予想していたはずだ。

だが、それから半世紀が経過した現在の大船の街を見渡すと、バスロータリーが整備され、駅に接続して2棟のビルが建ったものの、周辺の商店街の区画は当時とほとんど変わりがなく、「昭和の商店街」とも言われている。昨今のレトロブームから、「レトロが大船の特色となっていていい。再開発されず、かえってよかった」といった声も聞かれるが、JR東海道線・横須賀線・根岸線および湘南モノレールが乗り入れる交通の要衝でありながら、なぜ近代的な街並みに生まれ変わらなかったのかという点は興味深い。以下、大船の再開発にまつわる歴史を追いかけてみよう。

大船の商店街
多くの人でにぎわう大船の商店街。昭和の雰囲気を残す(筆者撮影)
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