湘南の交通拠点、大船はなぜ「昭和の面影」が残る? JRやモノレール乗り入れ、だが再開発は進まず
そして、東口商店街全域を含む4.7ヘクタールを再開発の対象とする第五次石原案(当時、最終案と呼ばれた)が提示されたのは、1969年7月だった。同年7月16日付の神奈川新聞に次の記事がある。
来春四月に着工
鎌倉市 工費81億円で五年計画
根岸線の大船駅乗り入れに伴い、鎌倉市は五年前から石原舜介東工大教授に依頼して、大船駅東口前の市街地再開発事業法に基づく青写真の作製を急いでいたが、ようやく最終案がまとまった。この秋までに建設省の事業認定を受けたあと、来春四月から五カ年計画、工費八十一億円で着工する。だが、商店や住宅など個々の買収、補償の複雑で困難な問題が横たわっており、市では八月から積極的に駅前住民との懇談会を開き、具体的な新段階にはいるという。(中略)
駅前商店街など再開発事業面積は四・七ヘクタールにのぼる。ここには商店三百軒、住宅百六十戸がある。スーパー式、百貨店式、専門店式、食料品中心の買い物コーナー、娯楽センターなど、鉄筋十階から三階建ての七グループのビル街をつくり、そこへ現在の商店や住宅六百戸を収容していく。また、駅前に一千台収容の駐車場も設け、近代都市の機能をもたせる。工費は公共施設(道路や広場など)は国、県、市の負担、その他は市街地再開発事業法に基づく補助金、低利融資などをあてる方針。
一方、根岸線の大船駅乗り入れ計画に伴い、大船駅をこの九月から国鉄で大改修する。現在の駅舎は橋上駅になる(後略)
根岸線開業迫る中、再開発に暗雲
順調に進むかに見えていた再開発事業に、暗雲が漂いはじめる。1969年9月に駅南側に複数ある商店会の1つが、再開発事業そのものからの辞退を表明したのだ。
理由は「駅前は大地主と、そこを借りている借地人、その上に家を建てそこに住み商売をしている家主、その家を借りている借家人、それをまた借りている借家人などが複雑に入り組んで商売をしている」(『水の出る街、大船』)ことから権利関係の調整が不可能に近く、また、現状のままでもそれなりに商売を続けていくことは可能であり、権利者に犠牲を強いてまで進めるべきものではないと判断されたのだ。
しかし、根岸線の大船延伸は、もう目前に迫っており、ここで立ち止まるわけにはいかない。そこで、市の財政規模や国の補助等から事業費・工期をあらためて検討し直し、建設省(当時)の指導もあって、再開発の対象地域を縮小。とりあえず駅前広場とバスロータリーに加え、駅周辺に3棟のビルのみを建てるという案に基づき、1972年3月に都市計画決定(対象区域約2.7ha)が行われた。
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