湘南の交通拠点、大船はなぜ「昭和の面影」が残る? JRやモノレール乗り入れ、だが再開発は進まず

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だが、この縮小計画すらも、容易には進められなかった。権利関係の複雑さや零細事業者が多いことから、新築ビルへの入居(権利変換)をどのように進めるのか、ビルへ入居するための資金的な負担に耐えられるのかといった問題が立ちはだかったのである。

さらに、地価の上昇により、権利者(入居者)の負担を少なくするには外部テナントを呼び込まざるを得ないという事情から、新築ビル内に都市型デパートの導入を図ろうとしたことが権利者の反発を招くなどした。その結果、事業決定にはほど遠い状態となり、その後、長期にわたって膠着状態が続くことになる。

湘南モノレール開業当時の大船
湘南モノレール開業当時、ホーム上から見た京急有料道路と商店街。現在は交通広場(バスターミナル)になっている(写真提供:湘南モノレール)

市と市民の意識にズレがあった?

しかし、よく考えればである。このような問題は多かれ少なかれどこにでもある話であり、大船固有の問題ではないはずである。大船の事業が進まなかった根本的な原因は、市当局と地元市民の間の意識のズレが大きかったことによるのではないかと思われる。

もともと、市の考えでは駅前広場とバスロータリーができればよく、その部分の権利者の移転先を確保できればよいという最低限の「駅前整備計画」だった。しかし、それだけでは「時代に取り残されてしまう」という危機意識を持った地元商店会などの要請により(これは、当然の危機意識である)、商店街全体を含めた壮大な再開発計画に広げられた。

ところが、蓋を開けてみると、複雑な権利関係から調整が一向に進まず、市の姿勢が次第に及び腰になっていった。そもそも市は、当初から商店街全体の再開発などは無理な話と踏んでいた節もあり、「なにがなんでもやってやろう」という気迫が市側に見られなかったのには、そうした事情が背景にあったように思われる。結局、1972年度から1984年度まで約40億円(うち国が約19億円、県が約3億円負担)という巨費を投じながら、再開発計画には、さしたる進捗が見られなかった。

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