湘南の交通拠点、大船はなぜ「昭和の面影」が残る? JRやモノレール乗り入れ、だが再開発は進まず

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ようやく進展が見られたのは、1980年代半ばになってからだった。この時期、駅北側の横浜市域に1日約1000台利用が可能な神奈中バスのバースが完成することになり(当初は暫定、後に永続化が決定)、鎌倉市側の人流に影響が出るとの危機感が募った。また、懸案だった国鉄用地の払い下げ対象区域拡張交渉(都市計画決定時に編入された国鉄用地の隣接地約0.3haの区域編入)が、この時期に急遽進展し、1982年に内諾を得、再開発計画推進が現実的となった。

湘南モノレール開業時の大船駅前
上空から見た湘南モノレール開業当時の大船駅周辺。国鉄(当時)の線路際に見える平屋の建物群は国鉄官舎。国鉄用地の買収が再開発推進のカギとなった(写真提供:湘南モノレール)

一方で国鉄民営化にともない1987年4月以降は競争入札が原則となるため、「1986年10月までに随意契約をまとめないと(筆者注:国鉄用地の)買収ができなくなるおそれがでてきた」(鎌倉議会史記述編)といった差し迫った事情も生じた。

こうして1986年11月に都市計画変更、1988年2月に事業認可に至る。対象区域約2.7haを第1地区(バスターミナルおよび第4街区 約1.5ha)と第2地区(第1~第3街区 約1.2ha)に分け、国鉄用地や京急用地が多く、権利者との個別交渉が少なくて済む第1地区を先行着手することにしたのだ。

駅南側の県道沿いに「島」のように存在した商店街(旧・大船睦会商店会)が取り壊されてバスターミナルが整備され、第4街区に再開発ビル(現・ルミネウィング)および駅上にJRビル(現・アトレ)が竣工したのは、1972年に都市計画決定されてからちょうど20年後の1992年9月のことだった。

大船駅東口再開発エリアの地図
大船駅東口第1種市街地再開発事業対象エリアの図。網掛け部分が第1地区(鎌倉市資料・筆者所蔵)

今後も大きな動きは当分ない?

第1地区の再開発が進んだ一方、第2地区はホテル棟を中心に、中層商業施設2棟から成る計画が立てられたが、その後の不況などで計画は停滞。2003年になって、24階建てマンションを中心に中低層商業施設等を整備する新基本構想が打ち出されたが、2007年に権利者に行った意向調査では、この構想に基づく再開発推進について賛成と反対が拮抗し、市議会が再開発関連予算を否決した。この間に横浜市側では、大船駅笠間口(北改札)が新設され、一部で再開発事業が進められるなどの進展があった。

その後も、鎌倉市側では基本計画の見直し、権利者との協議・意向調査等が重ねられたが、「東日本大震災・東京オリンピック・パラリンピック開催決定の影響等による建築工事費の高騰の影響を受けるなどし、権利者の皆様にご納得いただける条件での権利変換が難しく、スケジュールの見直しが必要になった」(鎌倉市まちづくり計画部市街地整備課)ことから、計画は事実上、ストップしている状況だ。

現在、市は「湘南モノレール沿線の深沢エリアのまちづくり計画に注力」(市街地整備課)しており、近い将来、大船の再開発に大きな動きがある可能性は低い。

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森川 天喜 旅行・鉄道作家、ジャーナリスト

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もりかわ あき / Aki Morikawa

現在、神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)、『かながわ鉄道廃線紀行』(2024年10月 神奈川新聞社刊)など

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