26年外資勤務「FIRE=幸せ」と限らない残酷な現実 意外と大きい「メンタルダメージ」その中身は?

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「FIRE=人生の幸福の達成」ではない?(写真:kt-studio/PIXTA)
経済的に独立して若いうちに引退することを意味する「FIRE」という言葉が一般的になり、FIREを目指して働きながら株式や不動産に投資する人が増えている。
FIREしてお金に縛られないようになるとあたかも「人生の勝者」のように語られがちだが、実際にFIREした人の話を聞くと、「『FIRE=人生の幸福の達成』ではない」という、思いもしなかった残酷な現実が浮かび上がってくることも少なくない。
外資系企業に26年勤めて2年半前にFIREした柳川洋氏に、実際の体験を語ってもらった。
*この記事の続き:「FIREでできた心の穴」埋めた驚きの"人生の決断"

「社会的なつながり」を失うダメージ

朝早く起き、スーツを着て混んだ電車に乗って出社。

仕事以外では付き合いのなさそうな人たちとの会議や電話、メール。トラブルで頭を下げ、業績が悪いと上司になじられ、夜は接待や会社の飲み会。帰宅しても海外からも含めメールや電話に対応。

退職して、こんなサラリーマンあるあるの面倒ごとからは完全に解放されたことで、ホッとしたことはいうまでもない。

「FIREした」というと羨ましがられることも多い。だが実は、FIREと引き換えに、「人間にとって大事なもの」を失うということに気づいている人は多くないのではないか。

その大事なものとは、「社会とのつながり」だ。

会社を離れると、孤独が待っている。サラリーマン生活を送っていると否でも毎日必要とされた他者とのコミュニケーション、つまり「社会とのつながり」が激減する。

具体的には、家族以外の人に頼られることは、ほぼない。働いている間は、組織の一員として常に多くの人たちと一緒に仕事をし、必然的にコミュニケーションをとり、アウトプットを出し、その結果として報酬を得てきた。

生活の糧を稼ぐために仕事をしていたわけだが、それは同時に「人から頼りにされる」ということでもあった。なぜなら人から「使えない」と思われれば仕事を割り振られないからだ。

仕事をしていればストレスもあるが、何かを達成したときにはチームのメンバーと喜びを分かち合うことができる。イヤな仕事でも、苦労してなんとかやり遂げれば、誰かの役に立って「苦労してやってみてよかった」という気持ちにもなる。

引退すると、そのような達成感自己肯定感を得ることが極めて難しい。「自分は他人に必要とされる存在だ」と思えなくなる

その気持ちは時間の経過とともに、「自分は誰からも必要とされていない」に変化していく。これが想定以上にメンタルを蝕んでいくことは、簡単に想像できるはずだ。

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