あまりに間が抜けているが、秀長が死去した年と家康が上洛した年には、5年も開きがある。家康に仕えていた大久保忠教が主君の強運を強調したかったのかもしれないが、『三河物語』のこの記述については、事実とは言えなさそうだ。
家康の天下取りを早める一因に
実際には、天正19(1591)年、秀長は郡山城内にて54歳で病死(諸説あり)。死後、部屋に積みあがるほどの財を残したとも言われている。
財政感覚にも長けた秀長がもっと長生きしていれば、豊臣家もまた違ったかたちになったのではないだろうか。秀吉の死後、秀長と対決せずに済んだのも、家康の「天下取り」を早める一因となった。
【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
大石学、小宮山敏和、野口朋隆、佐藤宏之編『家康公伝〈1〉~〈5〉現代語訳徳川実紀』(吉川弘文館)
宇野鎭夫訳『松平氏由緒書 : 松平太郎左衛門家口伝』(松平親氏公顕彰会)
平野明夫『三河 松平一族』(新人物往来社)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』(吉川弘文館)
笠谷和比古『徳川家康 われ一人腹を切て、万民を助くべし』 (ミネルヴァ書房)
平山優『新説 家康と三方原合戦』 (NHK出版新書)
河合敦『徳川家康と9つの危機』 (PHP新書)
二木謙一『徳川家康』(ちくま新書)
日本史史料研究会監修、平野明夫編『家康研究の最前線』(歴史新書y)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)
太田牛一、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
野田浩子『井伊家 彦根藩』(吉川弘文館)
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