歴史的事件が2つ、同じ日と同じ曜日に重なることは、めったにあるものではない。1973年9月11日と2001年9月11日は、ともに火曜日であり、しかもこの2つの事件は1つの長い糸で結ばれているともいえる事件だ。
その糸とは、新自由主義とグローバリゼーションという糸であり、新自由主義の始まりが1973年ならば、2001年はそれに対する反動が起こった時だったのだ。
1973年の事件は、チリの大統領サルバドール・アジェンデ政権(1908~1973年、大統領在任1970~1973年)を崩壊させた陸軍総司令官アウグスト・ピノチェト(1915~2006年、同1974~1990年)によるクーデターであり、2001年はアメリカおよび西側世界を震撼させた国際テロ組織アルカイーダとされるテロ攻撃である。
1973年・チリのクーデター
後者は、ニューヨークのワールド・トレード・センターのツインビルの崩壊と、テレビの実況中継というメディアによって、人々の心に印象的に刻まれている。
しかし前者に関しては2023年で半世紀たち、アジェンデもピノチェトも、そしてチリという国の存在すら、今では遠く忘れ去られてしまっているのかもしれない。
しかし2つの事件が20世紀、そして21世紀の現在の世界を知るために重要な歴史的転換を示す事件であったことは、けっして忘れてはなるまい。
ひとまず1970年代を振り返ってみよう。アメリカはベトナム戦争で苦戦し、経済的、政治的な危機に瀕していた。例えば1971年8月のニクソンショックや、1973年3月のアメリカ軍のベトナムからの撤退などだ。
1960年代には世界各地で植民地からの独立が達成され、それまで世界を支配していた植民地所有国である西側勢力が危機を感じていた時代である。
1954年から1962年にかけてアルジェリアが独立を目指したアルジェリア戦争、1959年に成功したキューバ革命、そしてベトナム戦争など、東西冷戦といわれた社会主義圏と資本主義圏との対立という構図があちこちで存在していた。これらの戦争と植民地の独立は、西側諸国にとって、たんに植民地を失うというだけでなく、社会主義圏の拡大という資本主義の危機もはらんでいた。
だからこそ、アメリカは西側資本主義世界の大国としての沽券(こけん)をかけて、この闘いに緩衝せざるをえなかったのである。
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