人間の思考は、すでにすり込まれたイメージを壊すことを嫌う。すり込まれたとおりのことが起こると、安心するのだ。敵国への憎悪となると、多くの場合、このワンパターンの思考回路から生まれている。
この思考回路から出ると、仲間はずれになり、時として非国民の烙印を押されかねないからだ。こうして人間の自由な思考は停止し、唯々諾々とオウムのようにワンパターンの言説に従うのだ。
プロパガンダは、すり込まれたイメージを増幅することで起こる。すり込まれたイメージを、一般には偏見という。しかし、偏見ほど楽なものはない。なにしろ考えたり、調べたりする手間が省け、おまけに仲間もそれに簡単に同意してくれるからだ。内輪だけで盛り上がるとはこのことをいう。
しかし、こうした偏見を外交担当者が持つと、それは大変なことになる。だからこそ、フランスのルイ14世時代の外交官であるジャン=クロード・カリエールは『外交談判法』の中で、こう述べているのだ。
相手の立場を考えないで、自らの思考パターンだけを押しつければどうなるか。それは徹底した対立と戦争という悲惨な結果を招くことになる。その典型的な例のひとつが、19世紀のクリミア戦争(1853~1856年)へ至る西欧のロシアに対するワンパターンの思考回路だったともいえる。19世紀に増幅された憎悪が、結果的に戦争へと導いたのである。
クリミア戦争という前例
オーランドー・ファイジズという人の『クリミア戦争』(上下巻、染谷徹訳、白水社)という書物がある。クリミア戦争に至る過程の中で、ロシアに対する紋切り型の考えが西欧に広まっていった過程が、そこでうまくまとめられている。
とりわけ1812年、ナポレオンがロシアに侵攻するちょうどそのときに出版された『ピョートル大帝の遺書』という偽書の出現が、その発端だという。現在この書物は偽書であり、ピョートル大帝のものではないことはわかっている。しかし、この書が作り上げたイメージは、強烈であった。
たとえこれが偽書であったとしても、「ロシアはアジア的で、根っからの侵略者で、世界征服をねらっている野蛮で危険な国家である」という、現在に至るまで繰り返される「西欧のロシアに対する思考回路」が、これによってつくりあげられたことは間違いない。
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