もっともマルクスのために付け加えておくが、マルクスは、アーカートのファナティックさを懸念していた。だからこそ、この人物の怪しさを周りの人から諭され、「彼についてはまったく仲間などではなく、パーマストンに関すること以外彼とは何の共通性もない」と、やがて主張することになったのだ。
このマルクスの論説を快く思わなかったロシア人がいた。それは、西欧人のロシア嫌いの典型的な思考回路に辟易していた、帝政ロシア時代の哲学者・作家だったアレクサンドル・ゲルツェン(1812~1870年)である。
彼は、マルクスがアーカートの言説を無批判に採用していることを、こう批判している。
思考回路の閉塞性を打ち破れ
とはいえ、マルクスは自らロシア語を学び、ロシア人と文通することで、それまで影響されてきた西欧的ロシア観からやがて脱却していく。さすがにマルクスは、優れたジャーナリストであったのだ。
しかし今、ウクライナ戦争の言論は、いったいどうなっているのであろうか。こうした西欧のパターン化した議論を、ただ垂れ流しているだけではないだろうか。冷静に、相手の立場も考えるという努力をしているといえるのであろうか。
ワンパターンの思考回路は、確かに受け入れやすい。しかし、それを乗り越えてこそ、ジャーナリズムの真骨頂があるのではないか。たとえ非国民とののしられようと、しっかりとした見識をもつことはウクライナ戦争の停戦を導くためにも重要なのだ。
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