「シングルマザーとして育ててくれました。無理やり勉強をさせるような家庭ではなかったのですが、母親がミーハーだったので、『いいところに入れといたらいいやろ!』という感じで兵庫県の仁川学院小学校というお金持ちの子供が多い学校に入りました」
「みんなと違うことをしたい性格だったので、学校では生徒会副会長をやっていました」と語るように、小さいころから自分の考えをしっかりと持つ、目立ちたがり屋の子どもだったと言います。
そんな彼女は、中学受験をして名門校である帝塚山中学校・高等学校に入ります。しかし、学校に入ってから中学・高校と勉強をまったくしなくなったようで、成績は80人中70番くらいが定位置だったそうです。
「勉強は期末前にやるくらいで、それ以外はゼロでした。ソフト部の部活と、阪神甲子園球場での売り子やマクドナルドでのアルバイトが好きで、そちらに全振りしていました」
「遊びに全振りしていた」と語るまおさんは、進路を考える高校3年生の夏ごろになってようやく国立大学の理系学部を受けようと考えます。
みんなと同じが嫌だった
「小さいころからみんなと同じことをするのが嫌だったので、行きたい大学は特になかったのですが、行く人が多いところは嫌でした。だから人が多い私立よりは国立がいいなと思ったのと、就職することを考えたとき、医療系の仕事なら社会的地位が高いかなと思ったので歯医者や薬剤師になろうかなと、ふんわりと思っていたのです」
しかし、当時のセンター試験の模試の得点は3~4割。家庭教師に教えてもらい、予備校にも通って、自分を追い込んで勉強したそうですが、間に合わずにセンター試験本番も58%で終わりました。
「浪人は9月くらいにはもう覚悟していました。だからセンター試験の結果を見たときに『そらそうやな』って思いました」
この結果を受けてこの年の受験を諦めたまおさんは、浪人を決断します。その理由としては、やはり、「大勢の人が行く大学に行きたくなかったこと」でした。
「1年浪人するよりも、無難なところに行くほうが嫌だと思っていました。だから、浪人することに迷いはありませんでした」
まおさんは受験勉強をする環境も、多くの浪人生が予備校に通う中で、選ぶ人が少ない「自宅浪人」という選択をしました。
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