なぜ平等で格差が小さい社会ほど幸福度が高いか 「親ガチャ社会」の日本に未来がない納得理由
第二に、これはマクロのいささか量的な議論になるが、上述のような“自己の優越性から来るプラスの感情”を持つのは、全体から見れば一部の富裕層であり、したがって経済格差の是正ないし平等化を進めることは、それらが一定減少することはあっても、先ほど「幸福の逓減性」にそくして行った議論も併せて、社会全体の「幸福/ウェルビーイング」の総和にとってはプラスに働くという点である。
どのような「平等」が優先的に実現されるべきか
平等あるいは格差の小さい社会のほうが人々の幸福度ないしウェルビーイングが高まるということをさまざまな角度から議論してきた。しかし「平等な社会」といってもそれだけではいささか抽象的で、中身が見えにくいきらいがある。日本の現状を踏まえた上で、どのような「平等」が優先的に実現されるべきなのか。最後にこの点を考えてみよう。
この話題に関する私のスタンスは次のようなものだ。すなわち、特に現在の日本において重要なのは、人生における「機会の平等」の保障、つまり“個人が人生において「共通のスタートライン」に立てる社会”の実現という点である。ここでの「人生において」とは、「人生の各段階において」と記すのが正確だが、とりわけ重要なのはやはり(生まれてから若年期までの)人生の初期段階における機会の平等である。
思えば、戦後の日本は文字どおり“焼け跡”から出発するとともに、良くも悪くも占領政策という外圧の中で、
②農地改革を通じた「土地の再分配」(=土地所有の平等化)
が短期間のうちに行われた。いま振り返れば、まさに上記の“個人が「共通のスタートライン」に立てる社会”という方向への改革が強力に推進されたのである。
そしてこのことが、当時の日本人にとって“万人にチャンスが開かれている”という感覚や肯定感、希望を生み、それが土台となって「経済成長と平等化」の好循環を生み出していったと言える(こうした把握については拙著『持続可能な福祉社会』参照)。
こうした状況は根本から変わった。すなわち本稿の初めのほうで述べたように、経済が成熟段階に入った90年代頃から日本の経済格差は徐々に拡大し、現在では先進諸国の中で最も格差が大きい国の一つとなっている。
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