なぜ平等で格差が小さい社会ほど幸福度が高いか 「親ガチャ社会」の日本に未来がない納得理由
日本について見れば、1980年代頃までは日本の経済格差は上記の「大陸ヨーロッパ」並みで、どちらかというと先進諸国の中で格差の小さい国だった(この点は当時の日本人の間にあった“一億総中流”意識とも符合している面があった)。しかし90年代半ば頃から日本の経済格差は徐々に広がり、現在では先進諸国の中でもっとも格差が大きい国のグループに入っているのだ。
ちなみに日本における経済格差が先進諸国の中で最も高い部類に入ることは、去る7月に厚生労働省から公表された「国民生活基礎調査」での「相対的貧困率」(2021年)に関するデータからも把握できる。
後の議論ともつながるが、しばらく前から「親ガチャ」、つまりどのような親のもとで生まれたかという、出自の環境によって人生がほとんど決まっているという感覚が若い世代を中心に広がっているという事実は、以上のような経済格差をめぐる客観的状況とも関連しているだろう。
話題を格差と幸福度との関連に戻すと、基本的な事実として、北欧諸国のように最も平等度が高い国において、概して人々の幸福度が最も高い傾向にあるという点は、まず押さえておいてよいだろう。もちろん、これはごくラフな相関を示しているにすぎず、そこには無数の社会的要因が介在しており、ここから何らかの因果関係が引き出せるというものではない。
平等あるいは経済格差と幸福
では、より直接的なレベルで、平等あるいは経済格差と幸福/ウェルビーイングとの間にはどのような関係性があるのか。
これについては、以下のような点が重要なポイントになると思われる。
第一は、「収入あるいは消費の増加に対して、そこから生じる満足度や『効用(utility)』、あるいは幸福/ウェルビーイングは比例的には増加せず、その増加の割合は“低減”していく」という点から派生する内容である。
これは取りたてて目新しいことを述べているのではなく、経済学の分野で以前から「限界効用の低減」あるいは「限界消費性向の低減」という形で論じられてきた話題であり、あるいはそうした学問的な議論以前に、単純な経験則として私たちにとって身近な事実だろう。要するに、たとえばある美味しい食べ物を消費する場合に、それを2倍、3倍食べたからといって満足度は2倍、3倍になるわけではなく、その増加割合は(残念ながら)徐々に低下していくということだ。
したがって、収入と幸福度ないしウェルビーイングの関係についても、収入が増加するほどには、そこから得られる幸福度ないしウェルビーイングは比例的には増加せず、その割合は低減していく。この点は、90年代頃から展開してきた「幸福の経済学」と呼ばれる領域でもさまざまに示されてきた点であり(たとえばブルーノ・S・フライ他『幸福の政治経済学』)、私たちの経験的な直感にもかなう内容だろう。
そして以上の点を踏まえると、次のようなシンプルな事実が帰結することになる。それは、「高所得層から低所得層に対して所得の再分配を行ったほうが、社会全体の幸福度は増加する」という点だ。
これは、上記のように(収入に対する)幸福度の低減という点から論理的に派生する帰結であり、取り立てて難しいことを論じようとしているのでない。つまり、たとえば「100万円の収入増加」がもたらす幸福度の増加は、低所得層にとってと高所得層にとってでは大きく異なる――前者にとってのほうがずっと大きい――ので、所得再分配を行って高所得者から低所得者への所得の移転を行ったほうが、社会全体の幸福度(=その社会に生きるすべての人々の幸福度の総和)は大きくなるということだ。
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