規格外の男が、「心臓外科」に革命をもたらす

工学により、医学はもっと進化する

パイロットは事前に気象状況と機材のチェックをして、離陸を始めます。心臓外科医も事前に患者の状況と機材を確認してから、胸を開けます。飛行機は燃料が尽きるまでに着陸しないと確実に死にますが、心臓外科も患者の胸を開いたら、ある時間以内に閉じないと患者は確実に死にます。パイロットと医師は同じような条件にあると思ったんですよ。だから、自らパイロットとして命を張った経験があれば、医師にも認められるだろうと思いました。

しかも、航空業界は医療業界よりも進んでいて、トレーニングや評価方法、免許制度が厳格に定まっているので、この仕組みを医療業界に持ち込もうと考えました」

BEATとYOUCANの開発を進めながらパイロットの免許を取るというハードワークは、狙いどおりの結果につながった。医師たちは、かつて医師を目指した経験があり、パイロットの免許を持つ青年の話に耳を傾けた。

そして心臓血管縫合シミュレーターが市販されると、間もなく各地から問い合わせが相次いだ。朴が論文を発表し、どこかで講演するたびに注文が届いた。BEATさえあれば、安価なYOUCANで何度でも、いつでも心臓血管縫合のトレーニングができる。

これまで合理的、効率的なトレーニングが存在しなかった日本の心臓外科医たちにこの心臓血管縫合シミュレーターが与えたインパクトは大きく、ナプキンや鳥のささみを縫っていた若手の医師と後継者の育成に熱心なベテラン医師たちの心をガッチリとつかんだのだ。

「日本の1000人の心臓外科医をトレーニング対象として、ひとりが年間100個使えばそれで10万個になります。もしYOUCANが日本で10万個消費されたら、日本の心臓外科医のレベルは確実に高まると、いろいろな先生方に評価してもらっています。若手が日々のトレーニングに使うほかに、登板前にブルペンで投球する野球のピッチャーのように、エキスパートの先生が手術前にこれで予行練習することもできますから」

「年齢や企業としての実績にかかわらず、いいモノはいいと評価する米国の文化と現地での反応にシビれました」

日本の心臓外科医の間で話題になった心臓血管縫合シミュレーターの存在は、すぐに海外でも知られるようになった。

「2007年4月に都内で開催された心臓血管外科学会に出展したときに、米国のピッツバーグ大学で心臓外科のチーフを務める教授がシミュレーターを見て、これはすごくいいから米国に持って来なさいと言ってくれたんです。それで3週間、現地に行ったところ、教授が大学の外科部長や米国の胸部外科学会のトップに紹介してくれました。

すると学会のトップから『学会に出しなさい』という話をもらい、翌年にはサンフランシスコで開催された世界最大の胸部外科学会で、トレーニングマシンとしてBEATとYOUCANが公式に採用されました」

朴の年齢が若くても、企業としての実績がほとんどなくても、いいモノはいいと評価する米国の文化と現地での反応に、朴は「シビれました」と語る。

世界に広がり始めた朴の構想

しかし、最大の市場である米国でBEATとYOUCANを売るのは簡単ではなかった。起業からしばらくの間、EBMの社員は朴ひとりで、しかも海外でのビジネスの経験などなかったから、まさに手探り状態で見積もりから決済、配送といったビジネスの基本を学ばざるをえなかった。そのため、文化や商習慣の違いで大いに戸惑ったそうだ。売り上げを踏み倒されたこともあるという。

それでも、米国の企業と提携して販売する方法を取らず、直接取引にこだわった。なぜか?

朴の狙いは、単にBEATとYOUCANを販売することではない。世界中の大学や医療機関に導入され、日常的に使用されるような世界水準での心臓血管縫合トレーニングのデファクトスタンダードを作るという野望があった。そのために、日本ではシミュレーターを使用したコンテストや各地の心臓外科学会と連携してトレーニングコースを開催し、浸透を図ってきた。

同じように米国でも足場を築くため、手間と時間をかけ、手痛い失敗をしながらも何度も医療の現場に足を運び、さらにピッツバーグやヒューストンの大学の心臓外科の客員研究員になるなどして、米国の医師たちとネットワークを作り続けたのだ。

こうして地道にまいた種は、豊かに実り始めた。昨年、テキサスメディカルセンターで開催された「RE-EVOLUTION SUMMIT」。世界中の心臓外科医が集まり、最新の手技を学び、ブラッシュアップするこのカンファレンスで、BEATとYOUCANが正式なシミュレーターとして採用されたのである。

心臓外科医のトレーニング効果を劇的に向上させる可能性を秘めた朴の事業は、世界から注目を集める。医師免許を持っていない朴だが、国内外の医師たちからの信頼は厚い

日本よりトレーニングマシンが充実している米国でEBMの機器が選ばれたのは大きなステップだが、朴の仕掛けはこれからが本番だ。専門医の免許を取るために40時間のシミュレータートレーニングが義務付けられた米国に現地法人を作り、この4月にアマゾンのように誰もが数クリックでBEATとYOUCANを注文できるECサイトを開設した。量産化とEC化によって価格を抑え、競合よりも安い1点40ドルに設定した。これで、誰でも気軽にEBMの商品を買えるシステムが整い、米国市場への本格参入を果たしたのである。

朴が構想したトレーニングシステムの輪は、すでに世界にも広がり始めている。

「これまでに米国、韓国、中国、マレーシア、タイ、ベトナム、ドイツ、オーストラリアで売れました。テキサスメディカルセンター内にあるメソジスト病院では正式採用が決まりましたし、北京のある病院ではBEATが10台以上導入されています」

世界的な「独占企業」を目指して

朴はこれから世界にどんどん打って出るだけでなく、最終目標である心臓血管縫合トレーニングの国際標準プラットフォーム化を進めていく。オンラインで世界の心臓外科医をネットワーク化し、国境を越えて交流や評価をできるようにするのだ。

世界的に見ても、エンジニアリングベースのデザインで機能にフォーカスした心臓血管縫合シミュレーターを作っているのはEBMだけで、類似商品はない。もちろん、世界各地で特許を取得している。さらに、トレーニングを受ける医師たちのプラットフォーム化を狙っている企業も、世界でEBMだけだ。

ペイパル創業者のピーター・ティールが、著書で「ベンチャーは競争を避けて、独占企業を目指せ」と説いているが、EBMはまさに世界的な独占企業になるか、ならないかの戦いの真っただ中にあると言っていいだろう。大きな可能性を秘めたEBMを率いる朴の下には、たびたび「上場しませんか?」という誘いがあるそうだ。しかし今のところ、朴は株式の上場に関心はない。なぜなら、誰にもビジョンを邪魔されずにひとりで操縦桿を握り、心臓外科の世界を変える挑戦に燃え続けているからだ。

「私は預金通帳を見ながら生活したいわけじゃありません。『足るを知る』で、ある程度の生活をして、たまに空さえ飛べればそれでいい。医師免許を持っていない私を、若手から学会の理事長たちまで、数え切れないほどの外科医たちが応援してくれています。その気持ちを胸に、あるひとりの学生がスッポン堂の前で考えついたアイデアを、いかに具現化するか。事業を通じて世界にチャレンジしている時間が楽しくて、幸せなんです。考えてみてください。たとえば自分が自動車免許のような制度を思いついたとして、それが世界に広まると思うとワクワクしませんか?」

朴の事業が狙いどおりに拡大すれば、日本発のグローバルスタンダードが生まれることになるが、朴はあえて「日本発」という言葉にこだわらない。グーグルやアマゾンなど本当に必要とされるものやサービスは、どこの国で生み出されたのかなど関係なく利用されるものだと考えているからだ。見方を変えれば、朴は心臓外科の世界で、BEATとYOUCANを中心としたトレーニングシステムをアマゾンやグーグルに匹敵するレベルにまで一般化しようとしているのである。

まだ33歳。起業家であり、科学者、そして今では事業用操縦士の免許を持つパイロットでもある規格外の男は、誰も見たことのない地平を目指してフライトしている。

(撮影:今 祥雄)

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