規格外の男が、「心臓外科」に革命をもたらす 工学により、医学はもっと進化する

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早稲田大学大学院で生命理工学を専攻していた朴は、最先端医療を担う若手の原始的なトレーニングの実態を知って、「最初に彼らに手術してもらう患者にはなりたくない」という率直な感想を抱きつつ、工学の世界に身を置く科学者の端くれとして、燃え上がるものを感じた。

「何とかしたい、何とかできる」

ここから、やがて世界の心臓外科業界を巻き込むようになる朴の壮大な挑戦が始まった。

就活をせずに医学部を受験

朴栄光(パク・ヨンガン)●1981年12月10日、東京生まれ。工学博士。2006年8月、24歳の時にイービーエム創業。同年、自家用操縦士(飛行機)免許取得。2011年に日本に帰化。現在、福島県立医科大学心臓血管外科で博士研究員を務める

4年前に日本に帰化し、現在は日本人として暮らす朴だが、ルーツは生まれも育ちも東京・月島の在日韓国人3世。「日本に生まれて、日本語を話して、日本で生活しているのに自分は韓国籍。子どもの頃から、自分のアイデンティティとは何かということをゼロから作ってこなければならなかった」と語る。

「ほかの人と違うということに慣れていた」と振り返る生い立ちの影響からか、芝浦工業大学システム工学部機械制御システム学科の3年生になったとき、一斉に就職活動を始める周囲の姿を見て、正反対の方向に歩み始めた。

「まるでイベントのような就活を見て、人生というのはもっと湧き上がるような気持ちで進んでいくものじゃないのかと思ったんです。それで、自分がいちばんやりたいことは何か、半年ぐらいひたすら考えました。そして、私が夢中になれる瞬間というのは、目の前に困っている人がいる、そういう人を救いたいと思って行動しているときだと気づいたんです。でも、技術、知恵がなければ助けられません。それなら医者を目指そうと思いました」

同級生がソニー、ホンダなど大企業への就職を決めていく中で、前代未聞の方向転換。それでも「当時はやたらと自分に自信があった」という朴に迷いはなかった。

国立大学の医学部には学士編入試験があり、3年生に編入できる。100倍を超える超難関試験に臨んだ朴は、書類審査、学科試験を順調にパスし、最終面接にまで進んだ。

「面接までいけば、絶対に合格できる」

そう確信していた朴はしかし、ひとりの面接官の想定外の質問に言葉を詰まらせた。

「医学と工学の間には大きな壁があったけれど、これからの時代は両方の水を飲んだ人間が必要になる、自分は医学と工学の架け橋になりたい」と最終面接に臨んだが…

「最終面接では、これまで医学と工学の間には大きな壁があったけれど、これからの時代は両方の水を飲んだ人間が必要になる、自分は医学と工学の架け橋になりたいと話しました。そうしたら、救急医療の教授に『君は大学4年生だ。エンジニアとして何を成した? 君が架け橋になりたいというのであれば、エンジニアとして一人前である必要がある、そうでなければ架け橋というのは成り立たない。君は一人前だと言えるのか』と言われて、確かにそのとおりだなと思ってしまったんです」

もっともらしい回答でその場をしのいだものの、結果は不合格。21歳の朴は見事に鼻っ柱をへし折られ、指先まで届いていた医者への道は振り出しに戻った。ここでただへこむのではなく、面接官の言葉を真正面から受け止めたことが、朴のその後の人生を決定づけた。

「エンジニアとしての力を蓄えなければ」と考えた朴は、早稲田大学大学院を受験。人工心臓開発の第一人者で、早稲田大学理工学部の梅津光生教授の研究室の扉をたたいた。

朴が「師匠」と仰ぐ梅津教授は、朴を驚かせる度量の広さを持っていた。他大学から進学してきて右も左もわからない若者に、国から数億円規模の予算を確保していたビックプロジェクトをポンッと任せたのである。

「君はこれから5年間で患者ロボット、手術される側のロボットを作りなさいと言われました。それは何ですか? と聞いたら、『今までは手術する側のロボットの研究が盛んだったけど、これからはされる側が重要になる。そのロボットに対して手術をすると、あなたの手術は何点なので手術をしてはいけません、と答えるような感じだよ、以上!』と(笑)」

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