「留学すれば何とかなる」は、100年時代遅れ グローバル人材が本当に大切にするべきこと

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確かに留学生活には苦労が付きまとうが、本質はそこではないのだ。ケンブリッジ時代に同じ研究所にいた中国人、韓国人の友人に、日本人の海外留学生が減っていて、「内向き」と言われて社会問題になっていると言うと、「え、でもわざわざ留学しなくても日本にいい研究している大学っていっぱいあるじゃない」と言われた。そういう見方もあるのだ。

私も長く留学している身だが、留学は手段のひとつにすぎない。確かに留学によって広げられる可能性もあるかもしれないが、一方で、日本にいた場合に得られたはずの大切なものを見落としてしまう可能性もある。どちらを選ぶか熟考しなければならないのはもちろんだが、選択肢そのものに優劣はないのだ。重要なことは、留学するかどうかに関係なく、大きな目標を見通しながらも、目の前にある課題をしっかりとこなし、積み上げていくことなのだろう。

新たなものを生み出す源泉は、第2回に書いたように、物事を見る力とあらゆるボーダーを超えてアイデアを実現する、精神面を含めた力なのだと思う。

留学経験者の積極評価・採用を政府が要望?

企業の採用要件に対する政府からの要望に、「留学経験のある日本人学生について、その経験を積極的に評価し、採用する」とある(「産学官によるグローバル人材の育成のための戦略」2011年、リンク先PDF)。

これを見て、考え込んでしまった。教育の入口である保育園と出口の大学で約70%以上を私立に依存する日本で、さらに費用のかさむ留学の経験者を優遇せよというのか?(ちなみに、ここでは取り上げないが、日本の奨学金制度の多くは本来の目的を果たせていない状況だ)。

私は、留学はあくまでも補完的なもの、国内の教育で満たせないニーズがあった場合のオプションと考えていたが、政府の見解では、どうやらもっと重要なもののようだ。留学は、親の経済状況に左右される部分が非常に大きい。一方で、日本には国内修学旅行すらない高校がたくさんある。そのアンバランスな現実に、努力が報われる社会とは何なのかと思う。

『SLAM DUNK』が教えてくれたこと

そんなことを考えていたとき、愛読していた『SLAM DUNK』の登場人物・谷沢君を思い出した。彼は、主人公・桜木花道らの所属する湘北高校バスケ部の監督の安西先生が、昔、大学で監督をしていたときの教え子だ(桜木たちが入部する前の湘北では何もやってなかったように見える安西先生だが、元全日本の選手だったり、大学では鬼監督と恐れられたり、いろんな過去がある)。

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