市民の評価を欠いたまま進んだ日本の原子力政策--東洋英和女学院大学学長 村上陽一郎
福島第一原子力発電所の事故は、INES(国際原子力事象評価尺度)でレベル7という深刻な事態になり、収拾のメドが立たない。何が問題だったのか、原発とどう向き合うべきなのか。科学哲学が専門で、経済産業省総合資源エネルギー調査会の原子力安全・保安部会の部会長を務めていた、村上陽一郎・東洋英和女学院大学学長に聞いた。(インタビューは4月半ばに実施)
──福島第一原発の事故で日本の原子力技術や専門家に対する不信感が高まっています。
今回の事故による犠牲は大きく、賢(さか)しらな詮議立てよりも、自身の考え方や言動を省みるほうが先だという思いはある。
ただ、今回の事故により、完全な技術不信に向かうというのは不健全なことだ。確かに、津波の規模に対する想定が不十分であったこと、補助電源をすべて低い場所に設置していたことについては、技術者が責められても仕方がない。一方で今回の大震災に見舞われた女川、福島でも、新潟県中越沖地震で被害を受けた柏崎刈羽でも、原子炉自体は完全に止まった。
技術の持つ脆弱さに大いに警鐘を鳴らすことは必要だが、一方で、技術の信頼できる部分についても同様に評価をしなければならない。そうした腑分(ふわ)けを行って、将来の改良につなげていかなければ、大きな犠牲の意味もなくなってしまう。
──事故が起きた背景にはどのような問題があったのでしょうか。
今後の検証においてもっと詳細なデータが出ないとわからないが、一般論としては、業務をマニュアルで引き継ぐことの問題点がある。
福島第一原発のような古い時代に建設されたものは、建設に携わった人たちがすでに引退している。次の世代の人たちには、マニュアルによって引き継ぎがされているが、この場合、なぜそういう構造になっているのか、その構造に何の意味があるのかが、十分理解されなくなるという問題が生じる。
美浜での水素爆発事故も、東海村のJOCでの臨界事故も背景にそういう事情があった。マニュアルに頼るということの危険性は、どの事業体でもある。特にこうした非常に高度な技術を積み重ねて造られているプラントでは、技術の進展に従って改良もなされていく。その時に、本当の意味でそれが改良になっているか、そうとうチェックしなくてはならない。たとえば、引退した人の知恵やスキルについて随所でヒアリングするなどの確認作業が必要だ。