市民の評価を欠いたまま進んだ日本の原子力政策--東洋英和女学院大学学長 村上陽一郎

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──最高学府の専門家がそろってもトラブルを解決できないような物を使い続けていいのかと思います。

対応策がすべて後手に回っているように見えるのは、マニュアルに書かれていない事態が次々に起きてしまったからだ。現場の恐ろしさとしかいいようがない。

しかし、今の段階で、原発を全廃することはあらゆる面で不可能だと思う。日本の電力は原子力への依存度が30%を超えている。

かつて東電に不祥事が起きて、東電管内のすべての原発を止めたが夏場を乗り切れたではないか、という議論も確かにある。しかし、その時は、東京湾に火力発電のための原油やLPGを満載したタンカーが集中し、水先案内人の組合がストを構えたくらいに大変だった。そうした時に、仮にテロリストが爆弾を一発放り込んだら、火の海になる。そういう問題も「想定外」にはできない。

切羽詰まった中でマイナス思考になれば、どんどん虚無的になる。だが、前向きに考えると、代替エネルギーのイノベーション、送電線の相互融通の活発化などのインセンティブが高まる。不幸な話だが、戦争が起こればイノベーションが進むのと同じだ。また、一般の市民にできることとして、これを天からの警告と受け止め、新しい生活様式を工夫することも必要になるだろう。ただ、高齢化社会では、電力に依存する機能支援が重要で、簡単に電力依存度を低めよう、と主張するだけでは、問題の解決にならないことも確かだ。

専門家に任せ切りは危険 市民が参加できる制度に

──日本の原子力推進の過程で、民意の反映がなかったと感じます。

原発と市民との関係に、日本特有の歪みがあった。原子力の平和利用に日本が舵を切った出発点で、その舵取り役は誰だったかといえば、与野党の政治家、科学・技術の専門家、電力会社。何が抜けているかと言えば、市民が抜けていた。普通の市民は埒(らち)外に置かれたまま決定がなされ、後から地域住民に説明会を開き、そこで初めて一般の市民と向かい合った。この手順が問題だった。

ここ10年ぐらい、たとえば、ナノテクノロジーなどをめぐってコンセンサス会議などの手法が導入されるようになっている。科学技術と社会との関係を扱うSTS(science and technology studies)という学問領域の中で、PTA(participatory technology assessment)、すなわち市民参加型技術評価という言葉がしきりに使われるようになった。新たな技術が応用されるときに、あらゆる関与者が熟議を重ねて少しずつ進めていこうというもので、人口の少ないデンマーク、オランダで始まった。開発の出発点で評価を行う「上流アセスメント」になっている。今から考えると、原子力の場合、こうした発想がなかった。

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