前回の記事「"大哲学者"が問い続けてきた『生きることの意味』で、「あなたにとって、『どんなことが起こっても、これだけは本当だと思うこと』とは何ですか?」と問いかけると、ほとんどの人は即座には答えられないと書きました。
実は私からそう尋ねると、「それでは、先生にとっての『どんなことが起こっても、これだけは本当だと思うこと』とは何ですか?」と聞き返されることが多いです。
自分が尋ねた質問に、自分自身が答えられないというのも具合がよくないので、今回はそれについて書いてみようと思います。
あまり詳しく書いて私小説のようになってしまうと本筋を外れますので、ここでは要点をかいつまんでお話しします。
「人生のどん底」を経験した30代
拙著『読書大全』の中でも書きましたが、私は1997年に始まる、日本経済のバブル崩壊に端を発した未曾有の金融危機に巻き込まれ、公私ともに非常に苦しい30代を過ごしました。
仕事で追い詰められ、家庭は崩壊し、心身ともに打ちのめされ、3カ月ほど家に引きこもっていたことがあります。
前回、フランクルの『夜と霧』を題材に、私たちはつねに「生きる」という問いの前に立たされており、それに対してどう答えるかが私たちに課された責務なのだということを述べました。
でも、その頃の私は、なぜ自分だけがこんなひどい目に遭うのか、なぜこんなことになってしまったのかと、ひたすら自分の身に降りかかる不運を嘆くばかりでした。
自分と真摯に向き合うことなく、ただただ、自分の外側にその「原因」と「責任」を求め続けていたのです。そのような私の姿を見て、配偶者も含めて多くの人たちが周りから離れていきました。
当時の私は孤独の中に閉ざされていました。
「自分がなぜ働いているのか?」
「自分は何のために生きているのか?」
「自分は本当は何がしたかったのか?」
そうしたすべてのことがわからなくなっていました。
そして、そこに残されたのは、ただ人生に対するむなしさと後悔だけでした。
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