「"絶望"から立ち上がった人間」は、なぜ強いのか 30代「人生のどん底」で得た"絶対的確信"とは?

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ところが、公開選考会でパーマーの質問によってエリーが無神論者であることが明らかになり、それを理由に選考から外されてしまいます。

しかしその後、1号機の事故による失敗を経て、結局、エリーは2号機の乗務員に選ばれます。そして、ついにポッドに乗って26光年離れたヴェガに移動して、異星人との対話という神秘的な体験をすることになるのです。

ところが、エリーの18時間にも及ぶ体験は、地球時間にしてわずか1秒ほどにしかすぎず、ヴェガに行ったことは証明できなかったために、実験は失敗だったとされてしまいます。

そして、その責任を問う公聴会が開かれ、ヴェガに行ったという体験は幻覚だったと思うかと質問されたエリーは、次のように答えます。

「幻覚だった可能性はあります。科学者としてそれは認めます。(中略)経験したのは確かです。証明も説明もできません。けれど私の全存在が事実だったと告げています。あの経験は私を永遠に変えました。宇宙のあの姿に、我々がいかに小さいかを教わりました。同時に、我々がいかに貴重であるかも。我々は、より大きなものの一部であり、決して孤独ではありません。そのことを伝えたいのです。そして、ほんの一瞬でもみんなに感じてもらいたい。あの畏敬の念と希望とを」

目指すものは「真理の探究」

公聴会が終わったあと、エリーに寄り添うパーマーは、記者団から「(エリーの証言を)信じますか?」と聞かれて次のように答えます。

「科学と宗教との違いはありますが、目指すものは同じ真理の探究です。私は彼女を信じます」

この映画では、「信じる」とは何かが問われています。

科学や宗教、政治、ビジネスなど、私たちはそれぞれの立場でそれぞれが信じる世界を生きています。

でも、私たちにとっての「真実」とはいったい何でしょうか? そして「信じる」とは。

私たちはどれだけ世界のことを、そして自分自身のことを「わかって」いるのでしょうか? 何もわからないのだとすれば、そもそも私たちは何を信じて生きていけばいいのでしょうか? 私たちはそこに、共に生きていくための何らかの共通の基盤を見いだすことができるのでしょうか?

この問題については、また次回以降で考察してみたいと思います。

堀内 勉 多摩大学社会的投資研究所教授・副所長、HONZ

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ほりうち つとむ / Tsutomu Horiuchi

外資系証券を経て大手不動産会社でCFOも務めた人物。自ら資本主義の教養学公開講座を主催するほど経済・ファイナンス分野に明るい一方で、科学や芸術分野にも精通し、読書のストライクゾーンは幅広い。

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