「"絶望"から立ち上がった人間」は、なぜ強いのか 30代「人生のどん底」で得た"絶対的確信"とは?

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詩人のダンテは、35歳のときに暗い闇の中へ迷い込みます。『神曲』の第一部「地獄篇」の冒頭には、次のような一節があります。

「人生の道の半ばで
正道を踏み外した私が
目をさました時は暗い森の中にいた。
その苛烈で荒涼とした峻厳な森が
いかなるものであったか、口にするのもつらい。
思い返しただけでもぞっとする。
その苦しさにもう死なんばかりであった」

私もダンテと同じように、完全に道を見失い、誰も知らない暗く遠いどこかさまよっていました。

闇に閉ざされていたこの時期の私には、世の中の景色すべてが灰色に見えていました。とても不思議な感覚なのですが、色の区別はついても、それが色彩感覚としては感じられないのです。

恐らく、精神がうつ状態の中で、色の美しさを受け入れる感覚が麻痺していたのだろうと思います。認識論における、カントのコペルニクス的転回を思い起こさせるような話ですが。

世界から色が失われた経験をしたことがない人には中々理解しがたいかもしれませんが、参考までに1つのエピソードを紹介しておきます。

大滝詠一の名曲に込められた「思い」

シンガーソングライターの大滝詠一の名曲に、『君は天然色』があります。

1981年にリリースされた『A LONG VACATION』というアルバムに収録されているもので、私はずっとこの曲を単なるラブソングだと思っていました。

ところが実際はまったく違っていて、「モノクロームの想い出に色をつけてくれ」という意の歌詞は、作詞家の松本隆が、病弱だった妹を心臓病で亡くしたときに書いたものなのだそうです。

妹が倒れて入院したときに松本が大滝に電話すると、アルバムの発売が遅れても仕方がないから気長に待つよと言ってくれたこと、それから数日後に妹が息を引き取ったこと、妹の最期を看取った後に歩いた渋谷の街が色を失ってモノクロームに見えたこと、そして、そのショックから立ち直るのに3カ月ほどかかったこと、こうした経緯を松本自身が新聞の手記の中で記しています。

このように、人は大きな精神的ショックを受けると、見るものすべてから色を失ってしまうことがあるのです。

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