花子は英英辞典を翻訳の助けとするだけでなく、愛読書としていました。暇さえあれば辞典を開き、未知の英単語との遭遇を楽しんでいたそうです。 当時の日本にはもちろん、英和辞典や和英辞典も存在しましたが、花子があえて英英辞典を好んで使っていたのは、愛する夫・儆三が遺したからというだけではなく、単語の正確な意味や用法を理解するとともに、語彙の広がりを楽しんでいたからかもしれません。
短歌や日本文学で日本語の感性を磨く
幼いころから英語漬けの環境で育ったという点で、村岡花子と津田梅子は共通しています。梅子は幼少期、高い英語力と引き換えに、母語である日本語を忘れてしまったといわれていますが、花子は英語を学びながら、古典文学を通じて日本語のセンスも磨き続けました。
花子は短歌を学んでいた燁子の仲介で、歌人・佐佐木信綱が主宰する短歌結社「竹柏会」に参加します。信綱の娘に英語を教えることを引き換えに、信綱に師事し、短歌を学びます。その後、数百首におよぶ短歌を生み出すとともに、『源氏物語』や『万葉集』への造詣も深めていきました。花子は短歌に夢中になり、歌人になることを夢見ますが、花子の翻訳家としての才能を見抜いていた信綱は花子に、森鷗外が翻訳したアンデルセンの『即興詩人』を読ませます。それまで洋書ばかり読み、翻訳文学にあまり触れてこなかった花子は、鷗外の翻訳にたちまち魅了されました。
数ある『赤毛のアン』の和訳版の中で花子訳の人気が突出している理由は、英語だけではなく日本語の勉強を怠らなかった花子の努力にあるのかもしれません。外国語を身につけるには、翻って母語である日本語を学ぶことが大切であると、花子は私たちに教えてくれるのです。
花子は、清少納言がもしこの時代に生きていたら、現代の女性たちをこう批判するだろうと述べています。
花子は豊かな教養を持つと同時に、ユーモアに溢れる女性でもありました。 アメリカの作家トウェインの『王子と乞食』『ハックルベリイ・フィンの冒険』などを翻訳した花子は、原文のユーモアをできる限り日本語でも伝えようと試みました。
それでは、花子が訳した『ハックルべリイ・フィンの冒険』の原書の一節を、あなたも訳してみましょう。
『ハックルべリイ・フィンの冒険』で、いかだで川を下る最中に、相棒のハックとはぐれてしまったジム。疲れて眠っていたところハックに叩き起こされ、驚いたジムが言ったセリフです。
ハックとジムは学校に行かず正しい英文法を身につけていなかったため、このようにくだけた英語表現が使われています。ジムが寝ぼけて混乱する様子をユーモアたっぷりに表した訳です。
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