不朽の名著『夜と霧』が問う「生きることの意味」 究極の絶望で見出した「人生を決める決定要因」

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たとえば、社会学者のマックス・ウェーバーは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、資本主義誕生の背景には禁欲主義というプロテスタント特有の職業倫理があるとしました。

人間の欲望を解き放つ資本主義と、その真逆の禁欲主義がどう関係するのかといえば、そこには「金を稼ぐことが神の恩寵の証になる」というプロテスタンティズム、とくにカルヴァニズム特有のロジックが介在しています。

「富の蓄積」と神の救済

フランスの神学者ジャン・カルヴァンが唱えた予定説では、「神の救済に与る者と滅びに至る者は予め決められている 」とされています。

したがって、初めから決まっていることに対していまさらじたばたしても仕方がないのですが、その結果は予め知っておきたいというのが人情です。

そこでプロテスタントの人々は、禁欲的労働(世俗内禁欲)によって自分は神に救われる人間だという確信を持つことができると考えたのです。

禁欲的労働をしたかどうかは、その結果としての富の蓄積に現れます。したがって、一生懸命に働いて富を得ることができれば、それ自体がまさに神の意志に適っている証拠であり、神の救済の確信につながるというロジックです。

この場合の金儲けは「結果」であって「目的」ではないのですが、こうした禁欲的な職業倫理が、金儲けを目的とする資本主義の精神的支柱になったというのがウェーバーの結論なのです。

ここでは、「善行を積めば(因)、神によって救われる(果)」という常識的な因果律とは真逆の、「神によって救われている人間であれば(因)、神の意思に従った行いをするはずだ(果)」という、因と果を逆転させた思考方法になっているのです。

これはまさに、発想のコペルニクス的転回と言えます。

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