白岩玄(以下、白岩):2人の父親の視点で描くという方法は、子育てをしている僕自身の中の2人の父親が対話するような形で物語を紡げたら面白いのではないかというところから発想しました。
6歳と3歳の2児を育てる中で、自分が父親として、「問題なくやれているな」と思う時と「全然ダメだな」と思う時が1日の中でも交互にやってきて、両方の部分があると感じています。
『プリテンド・ファーザー』のきっかけになったのは、別の作品でなにげなく「いい父親のふりをしている」というセリフを書いたことでした。
後になってこのセリフが自分に深く刺さって、実際に父親である自分もなんだか父親のふりをしているような気もするな……という感覚が大きくなり、もっと掘り下げたらどうなるだろうと思って書き始めたんです。
田中:それがこの「プリテンド」=「ふりをする」というタイトルに反映されているんですね。
「行為によって親になる」という言葉の意味
白岩:最初のころは、「ふりをする」ということについて悩みながら書き進めたのですが、結果的にこの作品で「行為によって親になる」という言葉にたどり着けたことがとてもよかったと思っています。その言葉が自分にストンと落ちたというか。
日々の育児を振り返っても、子どもと血がつながっているということはさほど重要ではなくて、そこに愛があれば子どもは問題なく育つし、関係性をつくっていった結果、「パパ」と認識されて信頼してくれる。
むしろ大事なのは子どものためにしてきた行為の積み重ねであって、続柄というのは大人が社会を管理するためにつけているだけで別に重要じゃないよなと思うようになりました。
本の帯に「拡張家族の物語」と書かれていますが、僕自身は拡張家族という概念を書いているという意識はなくて。編集者から言われて気がついたという感じでした。
田中:「行為によって親になる」という点、本当に大事だと思います。親になるためには「男親」の「男」の部分を克服していくことが必要ではないかという気がします。
例えば、人の上に立って模範を見せるべしとか、どんなことでも答えを知っていなくてはならないとか、成果にこだわるとか……そういった男の部分を捨てていくことで親になっていく。僕も今、父親をテーマにした本を執筆しているところなのですが、やはり結論は男性の克服だと思っています。
白岩さんは以前にも『たてがみを捨てたライオンたち』で男性を主題にしていますが、何かきっかけがあったんですか。