白岩:田中さんの言う「無理なこと」を諦めるというのはとても大事ですよね。自分を振り返ってもそう思います。しんどいと思いながら自分に無理なことを頑張ってきて、諦めてみたらすごく生きやすくなるというか、やっと自分になれたという感じがすることがありました。
今日、田中さんとお話ししたいと思っていたことの1つが、「父親の言葉」を紡ぐことの難しさです。父親としてインタビューを受ける時でも、自分の育児や家事に対する「成績表」を見せて、日々どれだけ育児をして、こんなふうに妻と分担しているということを説明してからでないと子育てについて話せないという圧力を感じるんです。
『プリテンド・ファーザー』を書く時も、男性が普通に育児をしている父親だということを伝えようとすると、過剰に育児の場面を書かなくてはいけないのでは、と悩みました。単に「父親」と書くだけでは、読者はその男性が育児をすることを前提にしてくれないはず。そこには「男性はそういうもの」という決めつけや先入観があるように感じます。
女性の育休取得率8割が示すこと
田中:要するに、父親というのは、例えばゲームをやる時に「ルールとかあんまり知らないだろうけど、仲間に入れてやろうか」とおまめ扱いされているようなものなんですよね。そういったことへの違和感がスルーされて「イクメン」とか「頑張れパパ」といったふうに世間に流通しやすい言葉に変えられてしまうことに疑問を感じていらっしゃるんですね。
これは男性学を研究する僕自身のテーマであり、『たてがみを捨てたライオンたち』で白岩さんも書いていたことですが、やっぱりマイノリティーの男性の人たちが感じていることや経験がストレートには伝わっていかない、あるいは聞く耳を持ってもらえない状況があると思います。
社会的背景を考えると、やはり育児は女性の責任という観念が日本ではいまだに強い気がします。一例を挙げると、女性は85.1%が育児休業を取得しています(「令和3年度雇用均等基本調査」)。それはもちろん良いことですが、なぜ8割以上が取得できるかというと、それは育児は女性の責任だから責任を果たすために休暇を与えましょうという考え方がある。
一方で、企業の方から「男性が育休を取ると会社にどんなメリットがありますか?」といった質問を受けることが増えました。
それはやはり「そもそもは女性に責任がある育児をお前にもやらしてやるからには、見返りがあるんだろうな」という発想なんですよね。だから、ただストレートに「育児がしたい」「はい、そうですか」では通らない状況があるわけです。
そういう社会の認識があるがために、「この人は育児をしている男性です」ということを読者に伝えるために、言い訳のようにたくさん描写しないという状況があるんだろうと推測します。性別役割分業は、われわれの生き方の中にも意識の中にもきつく残っているがゆえに、反対のことをやっている人についてのたくさんの描写が必要になってくるのだと思います。
(構成:手塚さや香)
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