だが、このときばかりは理解できない行動に出ている。信長から「これはどうか」と確認されると、忠次は「そのとおりです」とまさかの同意。驚いた信長が「これは?」と別の項目について聞くと、「それもそのとおりです」と、やはりあっさりと認めてしまっている。
結局、いずれの内容にも、忠次が「そのとおりです」というものだから、信長も10カ条で確認するのをやめているくらいである。そして、信長は忠次にこう言い渡した。
「徳川家中の老臣がすべてその通り、というのなら疑いない。それなら、とても放置しておけぬ。切腹させよ、と家康に申せ」
忠次のせいでえらいことになってしまった。だが、家康も家康で、自分の息子に切腹が命じられたというのに「あれこれ言うまでもない。信長を恨みはすまい」とずいぶんとあっさりしている。家康はその理由についてこう語っている。
「身分が高い人も卑しい人も、我が子を可愛いと思う気持ちは同じである。 10カ条について尋ねられたときに、<知りません>といっていれば、信長も切腹などとは言わないだろう。いちいち<その通りです>といったから、切腹だとおっしゃったのだろう。ほかの理由ではない」
家康は、息子の切腹を命じた信長の姿勢に理解さえ示して、ただひたすら忠次の失態を責めて、こう言い切っている。
「三郎(松平信康)は左衛門督(酒井忠次)の中傷で腹を切らせることになっただけだ」
信康と築山殿の壮絶な最期
そんなふうに『三河物語』では、まったく先のことが読めないポンコツぶりを見せた忠次だが、『松平記』では、やや違う。
まず、徳姫からの手紙を読んで、信長のほうから、酒井忠次と大久保忠世を呼び出したことになっている。そして、その場で2人は、信長にこう述べたのだという。
「信康に何度も諫言したのに聞いてもらえず、信康と私たちは険悪になってしまった」
徳姫の訴えを否定していない点では同じだが、『松平記』では、忠次と大久保忠世は、信長の力を借りながら、明確な意思を持って、信康を排除しようとしている。
信長が「こんな悪人に徳川家を継がせると大変なことになる」と言うと、2人は「そのとおりです。悪逆人です。徳姫様の恨みももっとものことです」と応じたという。
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