松平信康を死に追い込んだ「頼れる家臣の大失態」 「酒井忠次」のまさかの行動、家康の反応は?

✎ 1〜 ✎ 26 ✎ 27 ✎ 28 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

『松平記』と『三河物語』とでは経緯が違うが、思えば『三河物語』を書いた大久保忠教は、大久保忠世の弟にあたる。そのためだろう、『三河物語』では、大久保忠世の活躍が多く記載されている。

それにもかかわらず、この信康の事件に関しては、兄の不名誉になると考えたのか、忠世はまるでいなかったかのように書かれている。かといって、家康も信長も悪者にすることなく、酒井忠次にすべての責を背負わせている。

実際には、信康の切腹後も、家康は忠次を変わらず重宝している。そのことを思えば、『三河物語』の記述は、やはり不自然である。

『松平記』では、信長は切腹を命じておらず、「いかようにも存分にせよ」と処罰を家康に一任している。事態を重くみた家康が、信長にとって最も安心する対応は何かを十分に考えて、やむなく妻子を処断する決意を固めたのかもしれない。

切腹を命じられた信康は、服部半蔵(服部正成)に介錯を頼んだが、半蔵にはそれがどうしてもできずに、代わりに天方通綱が介錯をしたとも伝えられている。

一方、築山殿は信康に先立って命を落としている。野中重政、岡本平右衛門、石川太郎右衛門らから自害を迫られるが、築山殿はそれを拒否。最後は抑えつけられて、首を斬られたという。

「慎重だからこそ動く」のが家康

徳川家康には「理不尽に耐え忍び、慎重に好機を待って天下人となった」という「静」のイメージが強い。だが、本連載で家康の生涯を紐解いてみると、むしろ「動」の人ではなかったかと感じる。

「桶狭間の戦い」にて、今川義元が思わぬ死を遂げると、すぐさま岡崎城に入って独立。今川から離れて、織田信長につくことを決めている。

また、武田信玄と手を組んで、今川領を切り取る際にも、信玄の動きに不信を感じたら、すぐに関係を絶って、対立する道を選んだ。

「慎重だから動かない」のではなく「慎重だからこそ動く」のが、家康の処世術だったようだ。時代の流れを巧みに読みながら、各方面に気配りして、先に手を打つのが常だった。「築山殿・信康事件」でも、そんな家康の「静かなる決断力」が発揮されたのではないだろうか。

【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
大石学、小宮山敏和、野口朋隆、佐藤宏之編『家康公伝〈1〉~〈5〉現代語訳徳川実紀』(吉川弘文館)
宇野鎭夫訳『松平氏由緒書 : 松平太郎左衛門家口伝』(松平親氏公顕彰会)
平野明夫『三河 松平一族』(新人物往来社)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』(吉川弘文館)
笠谷和比古『徳川家康 われ一人腹を切て、万民を助くべし』 (ミネルヴァ書房)
平山優『新説 家康と三方原合戦』 (NHK出版新書)
河合敦『徳川家康と9つの危機』 (PHP新書)
二木謙一『徳川家康』(ちくま新書)
日本史史料研究会監修、平野明夫編『家康研究の最前線』(歴史新書y)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)
佐藤正英『甲陽軍鑑』(ちくま学芸文庫)
平山優『武田氏滅亡』(角川選書)
笹本正治『武田信玄 伝説的英雄像からの脱却』(中公新書)
太田牛一、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
黒田基樹『家康の正妻 築山殿』 (平凡社)

真山 知幸 著述家

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

まやま ともゆき / Tomoyuki Mayama

1979年、兵庫県生まれ。2002年、同志社大学法学部法律学科卒業。上京後、業界誌出版社の編集長を経て、2020年独立。偉人や歴史、名言などをテーマに執筆活動を行う。『ざんねんな偉人伝』シリーズ、『偉人名言迷言事典』など著作40冊以上。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義(現・グローバルキャリア講義)、宮崎大学公開講座などでの講師活動やメディア出演も行う。最新刊は 『偉人メシ伝』 『あの偉人は、人生の壁をどう乗り越えてきたのか』 『日本史の13人の怖いお母さん』『逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ』(実務教育出版)。「東洋経済オンラインアワード2021」でニューウェーブ賞を受賞。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事