既視感を感じさせるチンパンジーの「派閥と政治」 なぜヒトは常に「集団の力学」を気にするのか

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3 ✎ 4 ✎ 5
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

これはその見物者が自分も毛づくろいをやってほしいからではなく、そうした親密な行為を通じて形成されようとしている結びつきを壊すためだという。

見物者がじゃますることが特に多いのは、毛づくろいをしている1頭が親しい仲間である場合(これは見物者がその仲間から受ける支援を独占したいと思っていることを示唆している)や、毛づくろいをし合っている2頭の両方が下位の個体である場合だ。

前述の事例からわかるように、下位の雄2頭が忠誠を誓い合うと、それより上位の個体に壊滅的な影響を及ぼすおそれがあるからだ。

「内集団」か「外集団」か?

ヒトはとりわけ、こうした社会生活の細部を気にしている。私たちは他者を反射的に「内集団」と「外集団」に分け、その判断のもとになる手がかりは完全に恣意的な場合さえある(初期の実験では、名札の色や、ピカソとモネの絵のどちらが好きかといった要素でも、こうしたグループ分けが生じた)。

このように過度にグループ分けを好む私たちの心理は、皮肉にもヒトの過度に協力的な性質から生まれたものだ。

最初期のヒトは互いに力を合わせることにより、自然のなかで直面する困難をだんだん乗り越えられるようになり、食料の欠乏、水の不足、危険な捕食動物の問題はどれも協力を通じて軽減することができた。

しかし、その結果、ほかのヒトの存在が主な脅威となった。ヒトは自然との戦いをしなくなり、ヒト同士で戦うようになったのだ。

こうした状況で、進化は社会的な能力に重きを置いたのだろう。自分自身の社会的な支援ネットワークの構築と整理、出会った他者の交友関係や同盟の監視、そして、何よりも重要なのは社会的な脅威の検知と回避の能力だ。

こうした脅威の検知システムがうまく働けば、自分に危険が及ぶことはない。しかし、検知に失敗すれば、自分自身が危険な存在になるおそれがある。

(翻訳:藤原多伽夫)

ニコラ・ライハニ 進化生物学者

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

Nichola Raihani

英国王立協会の大学研究フェローで、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの進化論・行動学の教授。同大学の社会進化・行動研究所のリーダーも務める。人間を含めた生物の社会的行動の進化が専門。科学誌に70以上の論文を寄稿し、その研究成果に対して2018年度フィリップ・リーバーヒューム賞(心理学部門)が授けられた。2018年には英国王立生物学会のフェローに選出される。本書が初の著書。詳しい研究内容については以下を参照。www.seb-lab.org

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事