石破茂氏「専守防衛は軍事的には極めて困難」 党きっての防衛通が語る「あるべき安全保障」

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塩田:岸田内閣が昨年12月に決定した安保3文書改定は、安倍晋三内閣の時代の2013年に策定された国家安全保障戦略が改定期となったから出てきたのか、それとも岸田首相が独自プランとして打ち出したものですか。

石破茂(いしば・しげる)/1957年鳥取県出身。慶應義塾大学卒。1986年衆議院議員初当選。防衛大臣、農林水産大臣、地方創生・国家戦略特区担当大臣、自民党政務調査会長、幹事長などを歴任。著書に『国防』『日本列島創生論』『政策至上主義』などがある(撮影:尾形文繁)

石破:私は政権の中にいないからわかりませんが、両方あったのではないでしょうか。1957年の「国防の基本方針」から長らく戦略的なものがなかったことを問題視して、2013年に国家安全保障戦略が作られ、それが今回の安保3文書に変わりました。

2013年からもう10年になりますし、ウクライナ侵攻という大きな世界秩序の転換を受けて独自色を模索した半面、安倍政権の姿勢を踏襲した部分もあるのでは。

わが国の防衛政策において日米安保を基軸とするのは当然のことですが、日米の国益が「完全に一致した」と言い切った安倍政権の姿勢は、岸田政権でも引き継がれているような気がします。

防衛大臣兼安保担当大臣辞退の背景

塩田:安倍内閣が国家安全保障戦略を作ったとき、石破さんは自民党の幹事長でした。

石破:当時は私も相当議論させていただきました。安倍総理の主眼は、集団的自衛権の行使を一部容認すること、そのために憲法解釈を変更することにあったと思います。安保法制はそれを戦略的に含む内容だったわけです。

われわれはその前に野党を3年3カ月、経験した。私は最初の2年は政務調査会長でした。その頃に中谷元・元防衛相を長とする憲法起草委員会ができて、私も第9条部分の議論に加わりました。当時の議論の成果が、今でも党議決定として生きている「平成24年・日本国憲法改正草案」です。

ここで示した改正の方向性は抜本的なもので、すぐに実現できるものではない。だから、それまでの間、安全保障基本法を制定して、そこで集団的自衛権の行使についての制約や態様を定めることとし、これも党議決定しました。

この憲法改正案と安全保障基本法案をセットで国民に提示して政権を奪還したのですが、その後の安倍政権においては、集団的自衛権行使に先鞭をつけることが優先されました。ゆえに内容は相当に限定的なものとなり、安倍総理は「現行憲法上、認められるのは『そのまま放置すればわが国有事になるような事態』までだ」と言われました。

この時、私に安保法制担当大臣をやれとのご下命をいただき、お受けするにあたって、「集団的自衛権の行使について、『現行憲法上ここまで』ではなく、『安倍内閣としてはここまで』とおっしゃっていただけないでしょうか」と申し上げました。私は現行憲法のもとでも集団的自衛権は国際法的に認められた全面的な行使が可能だと思っているので、安保法制での限界が現行憲法下の限界だと説明するわけにはいかなかったのです。

しかし、安倍総理はそこは譲れないということで、恐縮ながら防衛大臣兼安全保障法制担当大臣の任はお断りせざるを得ませんでした。それで安倍総理の逆鱗に触れることになってしまったわけです。

集団的自衛権の解釈を変更するということは、日米安全保障条約下の役割分担を変更することにつながるべき話です。しかし、そこを突き詰めないまま、安倍政権から現政権まで来ています。

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