「耳が聴こえない母」を持った息子の「罪悪感」 作家・五十嵐大さんが考える障害者のホンネ
4月24日に『聴こえない母に訊きにいく』を上梓した作家の五十嵐大さん。五十嵐さんの両親は耳の聴こえないろう者。ろう者の母親が今までどう生きてきたのかを掘り下げて取材した1冊となっている。
なぜ五十嵐さんは39歳になった今、耳の聴こえない母に生い立ちを取材したのだろうか。その理由には深い訳があった。
「知り合いでろう者の親がいる人が、50代、60代になって親を看取る瞬間、親が最期に何と言っているのかわからないまま、親のことを理解しないままお別れした話を聞いたんです。僕は思春期、聴こえない母親に聴こえない・伝わらないことが原因で反抗していました。そのため手話も下手だし、母について知らないことばかりで。だからこのままお別れしたら、絶対に後悔すると思いました。それもあって、母のことが知りたい、理解したいと思い、取材しました」
ちなみに五十嵐さんの父親は幼い頃、病気で耳が聴こえなくなった中途失聴者だ。一方で母親は生まれつき耳が聴こえない。五十嵐さんが母親の耳が聴こえないことを自覚したのは幼稚園に入った頃だという。それを知ったときはとにかく驚いて、しばらく母親とは会話をしなくなったそうだ。会話といっても、当時はまだ手話もあまりできず、五十嵐さんの祖母は手話を覚えなかったので、手話とも言えない身振り手振りと唇の動きや筆談で最低限のコミュニケーションを取っていた。
母親が優しい背景には“社会の歪み”があった
五十嵐さんの『聴こえない母に訊きにいく』を読む限り、五十嵐さんの母親はとても温厚で優しい印象を受ける。しかし、五十嵐さんは母親が優しかった根幹には別の理由があったと推測している。
「母は周囲の人たちから『いつもニコニコしていれば困ったときに誰かが優しくしてくれる』と言い聞かせられて育ちました。だから、母が優しかったというのは“社会の歪み”だと思っているんです。耳が聴こえないからといって常に笑っている必要はないし、ときには怒ったっていいのに、自然と抑圧されてきた結果、“いつもニコニコしている、優しい母”になったのではないか、と。もちろん、本人の気質もあるとは思うんですけどね」
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