「耳が聴こえない母」を持った息子の「罪悪感」 作家・五十嵐大さんが考える障害者のホンネ
「実際に不妊手術を受けさせられた被害者が国を相手取って裁判をしていて、仙台の高等裁判所まで裁判を傍聴しに行きました。原告の一人は実際に被害を受けた方で、もう一人は被害者のご家族でした。原告の方たちに、自分の親も耳が聴こえなくて、もしかしたら被害者になっていた可能性があるので取材で来ているんですと伝えると、とても感謝されました。
でも、一方で僕は『無事に生まれてきたこと』に申し訳なさを感じてしまっていました。調べたところ、これは“サバイバーズ・ギルト”と呼ばれるもので、生き残った人が罪悪感を抱え苦しんでしまうという現象でした。
優生保護法については話を聞くのも書くのもつらかったです。優生保護法は国の過去の反省材料として教育課程で後世にも伝えていってほしいですし、なかったことにはしてほしくない。被害者は申請すれば一時金として320万円が支払われる制度ができました。でも、それが解決ではない。被害者の方たちはお金の問題ではなく、心からの謝罪を求めているんです」
優生保護法の被害者による裁判は原告が勝訴しても、この法律があった当時は合法だったこともあり、すぐに国は控訴してしまうのだという。優生保護法については研究をしている人がたくさんいて、本も多く出版されている。五十嵐さんは、本の中では軽く触れているだけなので、興味のある人はぜひ優生保護法に関する本を読んでみてほしいと語る。
障害者を取材したことで視点が変わった
最後に五十嵐さんは『聴こえない母に訊きにいく』を書いて変わったこととして自分の中のマジョリティ性に改めて気づいたと語った。
「僕は日本に生まれて当たり前のように日本語を使っていて、それを禁止されたことなんてなかった。でも、そうじゃない状況に追い込まれている人もいるんだ、と気づきました。当たり前が当たり前ではないと気づくと、見える世界が変わります。今までは最寄り駅のエレベーターに何の意識も持っていなかったのですが、実はそれが広く設計されていることに気づきました。
つまりこれは、車椅子の人でも乗りやすいように工夫されているということです。一方、車椅子の人には利用しにくいエレベーターもまだまだ残っています。そんな風に見える世界が変わるだけで、社会に必要なことはなんなのかが少しだけわかったような気がします。この1冊を書き上げたことで新たな視点をもらいました」
五十嵐さんは『聴こえない母に訊きにいく』を自分とは関係がないと思っている人にこそ読んでほしいと言う。昨今、多様性に関する制度が話題に上がることが多い。五十嵐さん曰く、先日、ろう者の人たちがロープウェイに乗ることを拒否されたことがあったという。もし何かあったときにスタッフとコミュニケーションが取れないという理由で乗車拒否されたそうだ。しかし、この問題は緊急時用のタブレットを貸し出すことで改善に向かっていった。このように、少しの工夫で問題解決に至ることも多い。マイノリティの人もマジョリティの人も生きやすい世の中に社会が変わっていくことを願う。
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