米の移植用腎臓「健康なのに10%廃棄」の驚く原因 情報が少ない中で早合点する「模倣の罠」の怖さ
相手に「なぜ」と尋ねるのは不作法では、と思う人もいるかもしれない。確かに、あからさまな聞き方は失礼に感じるときもあるだろうが、実際のところ、誰でも自分の意見や好みの理由づけを明かすのが好きなものだ。
ハーバード大学の研究によれば、「中絶についてどう思うか」といったセンシティブな問題であっても、自分の考え方を相手と共有すると内在的な満足感を得られるという。考えを尋ね合い、披露し合うだけで、仲がより深まるのだ。
親しい家族や友人との最近の会話を思い出してみてほしい。何について話しただろうか?会話のあとでどう感じただろうか?
統計的には、2人がそれぞれ会話の最大40パーセントを自分の感じたことや体験したことの共有や議論に使ったはずだ。1人が会話を独占するのではなく、バランスがとれているように感じたのではないだろうか。話したあとには、つながることの幸せと爽快感を覚えただろう。
人間には個人的情報を開示する欲求がある
実際、自分について話すことで得られる満足感は、金銭や食事のような客観的報酬に匹敵する。ソーシャルメディアへの投稿の80パーセントがプライベートな(率直に言えば、だいたいは取るに足りない)考えや体験で占められている理由も、これで説明できる。
神経学的にも、人間には個人的情報を開示する欲求があり、情報を共有するたびに脳の報酬系が刺激されて体に純粋な快感がもたらされると判明している。言い換えれば、胸の内を明かすのは悩みや興奮のせいばかりではなく、内在的な動機もはたらいているのだ。
個人的情報を開示する傾向は人間らしさの一部であり、人類が生き延びる助けになってきた(フェイスブックの商売も助けているが)。他者とのつながりを築き、絆を深めやすくしてくれる。
また、専門性の共有を通じた知識の交換と蓄積を促すことで、先導や指示、学習のチャンスももたらす。
突き詰めれば、「なぜ」という問いに実質的なマイナス面はなく、プラス面は数多くあることがわかる。社会的結びつきを深めるだけでなく、連鎖反応が起きても速やかに根絶することができるようになる。相手が「あの人とあの人がそうしたから」以外の理由を説明できないときには、群れに巻き込まれて集合的幻想に陥る危険があると察知できる。
「なぜ」と問うことで暗幕を取り払い、他者の行動や主張の裏にある真実を明らかにできる。
同様に、このシンプルな問いかけには即席の(しばしば不正確な)推測だけに頼るのを予防し、連鎖反応の発生を未然に防ぐ効果がある。他者の選択の裏にある理由づけを解明すれば、その行動原理が自分の価値観や優先事項に合っているか評価し、さらにはその判断が自分の個人的事情に適しているかを検証することもできる。
最後になるが、他者を観察し他者に耳を傾けることで正確さを高めるのが望ましい一方で、自分の判断を捨てて無批判に他者(集団全体や権威者)に従いたくなる誘惑には抗わなくてはならない。それは面倒に思えるかもしれないが、自分で考えることは個人にとって重要なだけでなく、社会全体が健全に生き延びるためにも必要不可欠なのだ。
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