米の移植用腎臓「健康なのに10%廃棄」の驚く原因 情報が少ない中で早合点する「模倣の罠」の怖さ
この種の罠には、誰もが気づかないうちにとらわれている。例えば、申し分ないように見える売り家が何度も契約を見合わせられていると聞くと、自分にはわからない何かがあるにちがいないと考えるものだ。屋根裏部屋に幽霊が出るのではないか、地下室が水漏れするのではないか、重大な欠陥がそのままになっているのではないか、というふうに。
また、公衆トイレの手洗い場の列に並んでいるとき、シンクの1つを誰も使っていなかったら、配管に異状があるのだろうと「前にならえ」で推測する。さらに、あなたが失業して無職状態が長くなればなるほど、採用担当者は「なぜよその会社は雇わなかったのだろう。問題のある人なのかもしれない」と疑うので、再就職の見込みは低くなる。
確実な情報が十分にあると思えない、あるいは自分の判断に自信がないせいで他者に従うとき、模倣の罠が牙をむく。人間の脳は目に見えているものの確証を得ようと無意識にはたらくため、自分よりも知識がありそうな人を手がかりにする。不確かさを覚えているときにはとくにその傾向が強い。個人としての認識と知識が正しいと100パーセント確信することはないので、他者の行動をたびたび模倣してその隙間を埋めるのだ。
模倣の罠にかかりやすい2つの理由
人間が模倣の罠にかかりやすい理由は2つある。
1つ目は、世界を正確にとらえたいという生来の欲求があること。小さな赤ん坊のころから、「コンロは熱いのかな?」と疑問が湧き、自分では確かめられないとなれば、近くにいる大人を見て確証を得ようとする。この種の社会的学習は、なんでも身に染みて覚える必要がなくなるため、すべての年齢において非常に有益だ。
2つ目の理由は、社会的な恥に対する強い恐怖心があり、発言するのも気が引けてしまうこと。王様は裸だと口にしたい衝動が引っ込むのも、これのせいだ。この2つの要因が合わさると、不確かさのあまり個人の知識を抑えつけ、目に見える「みんな」の行動を優先しがちな状況ができあがる。
群れに合わせて動くガンやイワシのように、人間の感情と行動を通じた他者との結びつきが、同調の衝動に抗うことを難しくしている。ある人の専門性や影響力、名声が自分よりも高いと感じるときにはなおさら困難で、いわば洪水に1個の土嚢で立ち向かうようなものだ。
模倣の罠は、あまり目立ちたくないときにとりわけ陥りやすい、集合的幻想につながる第一の難所である。
自分が1人で待合室にいて、アンケート用紙に記入しているところを想像してほしい。しばらくすると、何かが燃えているようなにおいが漂ってきた。あたりを見まわすと、壁の通気口から灰色の煙がもくもくと出ている。あなたは近くに寄って確かめてから、荷物を持って廊下に飛び出し、急いで受付に知らせにいく。普通の人なら、そうするだろう。
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