「技術革新はすばらしい」と考えるのは大間違いだ 人類は自ら嬉々として「滅亡の道」を歩んでいる

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競馬である。

今年の春のG1シーズンは、私にとっては大変なことになっている。まず、教え子の生産牧場であるクラウン日高牧場が生産した、ジャックドールが4月の大阪杯(G1)を勝った。

そして、5月28日の東京優駿(日本ダービー、東京競馬場第11レース、距離2400メートル、G1)においては、別の教え子の一口馬主クラブであるグリーンファーム愛馬会で、私も一口馬主になっているハーツコンチェルト(6枠11番)が出走する。

よって、私にとっては馬券などどうでもよいシーズンになっているのである。

生産者やオーナーになると競馬の景色がまったく変わる

馬券を買うという立場、あるいは私の大好きな、スポーツ、文化としての競走馬の世界を偉そうに語る立場などとは異なって、生産者やオーナーという立場になると、競馬として見える景色がまったく変わってくる。

「すべてのホースマンの夢はダービー」とはよく言われることだ。今まで私は知ったふうに「そんな世代限定のG1なんて、本当に強い馬を選ぶ1つのレースにすぎない。ジャパンカップや天皇賞に比べたって、とくに価値があるわけではない」などと抜かしていたのであるが、まったく違った。

このハーツコンチェルトは、新馬戦で2着馬に8馬身差をつけて圧勝した。そのため、一躍クラシック候補と言われたのだが、友人たちに「オバタさん、ハーツはダービー向きですかね?」などと言われても、「いや、凱旋門賞向きです」などといい気になって答えていた。

それだけにとどまらず、皐月賞もダービーも勝って「無敗の2冠馬」として、秋の凱旋門賞か、日本の菊花賞か迷うことになったらどうしよう、などという白昼夢まで見ていた。結局、ダービーに出るだけでひと苦労、というか、ダービー出走にこぎ着けるまでに応援のエネルギーは使い果たしてしまった。

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