「技術革新はすばらしい」と考えるのは大間違いだ 人類は自ら嬉々として「滅亡の道」を歩んでいる

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技術進歩が社会にプラスになるためには、広範囲の大規模な革命的な技術進歩が必要である。また、税制や補助金、政策誘導などにより、正しい方向に技術進歩を向かわせることで、技術進歩をよい方向に向けることができる。おおむねこのような具合だ。

違う。
       
「技術進歩を正しい方向に向かわせよう」というのは賛成だ。しかし、そもそも「技術進歩は正しい」「良いこと」ということは無批判に前提とされている。

ただ、それが悪用される、独占的に一部のグループのために利用され、社会全体としてはマイナスのことがあるから、正しい方向、社会全体に資するように向かわせよう、ということであるが、技術進歩自体はすばらしいことに疑問を抱いていない。

そもそも「社会は進歩し続ける」という前提なのだ。さらに「進歩は良いこと」というナイーヴな進歩主義からまったく脱していない。そして「進歩とは経済的に豊かになることだ」という、これもまた経済学者のナイーヴな世界から1ミリも脱していない。惜しい。

「人類を滅ぼすかどうか」を議論すべき

せっかくテーマも意識もすばらしいのに、前提がまったく間違っている。最重要な問題を扱った、必ず読むべき本であるのに、ただ物足りないのだ。

この問題を扱うなら、大前提こそ、問わなければいけない問題なのだ。つまり、それは「技術進歩は本当に正しいのか、良いことなのか」ということである。

この問題に真正面から取り組むこと、それこそつねに人類にとって最重要なことであり、また、今こそ社会のすべての人々がこの問題を直接に目の当たりにしているこの瞬間に、徹底的に議論すべきことなのだ。

ChatGPTなどの生成AI(人工知能)の社会への影響が議論されているが、これは「教育現場でどう使うかどうか」などという利用法の問題ではない。「人類を滅ぼすかどうか」、それこそが議論すべきことなのだ。

人類が人類たるゆえんは、知的な思考に基づいた行動にあるとすると(この考え自体には私は賛成しないが)、AIは人間に代わって考える役割を担い、その結果、人類は思考しなくなり、脳は退化し、現在の思考する人類は確実に退化していき、最後には思考する動物としての人類としては滅びることになるだろう。

人類が滅亡の危機にさらされているが、どうすべきか。それが、まず第1に議論することなのだ。

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