しかし、私は、絶望的に悲観的である。なぜなら、これは議論しても意味がない。人間社会は快楽と利便性の誘惑に勝てるはずもなく、人類の思考力はどんどん退化していくことは必至と考えているからだ。
そして、これは未来の予言でもなんでもない。すでに着々と進んでおり、普通に観察すれば至る所で進行しており、絶望を受け入れることしかないことは明白だからだ。
例えば、芸術はすべて退化している。古代から近代の文学を現代文学が上回ることはない。いわんや哲学においてもだ。なぜなら、人類の思考時間は明らかに減っており、しかも目につくカラフルなものが無数にあるために、1つのことを突き詰めて考えることにおいて、いにしえの人々を超えることはできるわけがないからだ。
芸術における感性もそうだ。無駄でさまざまな刺激が多すぎるために、感性が一点に集中して研ぎ澄まされることは永遠にありえない。雑念が多すぎるのだ。
思考力が減り、コミュニケーション能力も低下
だが、これは芸術家に限ったことではなく、われわれ全員にいえることだ。かつての娯楽は小説だった。それが漫画になり、アニメになり、ゲームになる。想像力を働かせる部分が減り続ける。直接的に五感に訴えるから、思考ではなく反射だ。だから、われわれの思考力は明らかに衰退し続けているのだ。
この結果、コミュニケーション能力も低下し続けている。想像力を働かせる部分が減り続けている(病的な妄想は、想像力ではなく、反射に基づく幻覚に近い)。その結果、相手の気持ちがわからない、相手の立場に立てない。
だから、怖すぎてどうしていいかわからないから、空気を読む。空気を読むとは、想像力ではなく、周りが自分に関心を持たないように(反射的な意味での)、目立たないように、波風を立てないことなのだ。要は、音を立てないで、反射的な反応による攻撃を避けるために、死んだふりをしているだけなのだ。この結果、コミュニケーションはゼロになる。誰も、他人の気持ちがわからなくなっている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら