これだけ繰り返せば誰の目にも明白だろうが、技術進歩が善である理由はどこにもない。良い技術進歩もあれば、悪い技術進歩もある。そしてそれは、良いものを残して、悪いものを排除するということはできない。なぜなら、その技術進歩は目先の欲望や利益により求められて起きているものであり、それを避けるという行動は人類にはできないからだ。
したがって、アシモグルはすばらしい問題を提起しているのだが、しょせん、まっとうな経済学者であるために、技術進歩が与える人間社会への被害は、単に格差拡大と低所得の労働者の仕事を奪うといった目先の事件の範囲でしか把握できない、把握しようとしていない、という残念な結果に終わっているのだ。
技術「進歩」とは、必ずしも良いこととは限らない。これが今回の結論だが、これに納得しない読者も多いだろう。しかし、イノベーションが良いとは限らない。それどころか、ほとんどのイノベーションは悪いものである。これは読者の皆さんがどんなに否定したくても、動かしがたい事実なのだ。
さらに、ヨーゼフ・シュンペーターの名をかたって、「イノベーションとは創造的破壊であり、資本主義社会における経済成長の根源だ」と主張している人々のほとんどは、間違ったシュンペーター解釈を行っている。
現在の経済学者、エコノミスト、経営者、起業家、政治家たちの言うイノベーションとは、シュンペーターの言う創造的破壊とは、二重の意味でまったく異なるものである。その典型が、まさに経済学者としてはイノベーションの第一人者と思われているフィリップ・アギオン(Philippe Aghion)だ。
彼ですら、まったく間違った理解と主張をしている。例えば、『創造的破壊の力』(東洋経済新報社)は、この分野において一般の読者としては最も読むべき本であるが、このベストの本でも致命的に間違っている(だからこそ、一読する必要がある。なぜ世間のイノベーション議論はほとんど間違っているのか、これを読まずには議論できない)。
アギオンとアシモグルは同僚であり、共同研究者でもあるが、アギオンの誤りに比べれば、アシモグルの物足りなさははるかにまだマシなものだ。やはりその意味で、冒頭で紹介した『Power and Progress』は一読には値するものだと思う。
次回は(あるいは別の記事で)、アギオンをはじめ、ほとんどの経済学者やエコノミストが間違ったイノベーションの理解、間違ったシュンペーターの理解をしていること、そして、現在巷間言われているイノベーションは、ほとんどが悪いイノベーションであることを議論したいと思う。
(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)
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