野田城を攻めている間に、以前から患っていた信玄の病が悪化したのだ。そのため、野田城を落城させたのち、長篠城にとどまり療養している。それでも病状は回復することはなく、ついには甲斐への撤退を決めるものの、その道中で信玄は死去。死因については諸説あるが、胃がん、もしくは、肺結核を患っていたようだ。53歳だった。
浜松城を落とすことにこだわらなかったのは「もはや残り時間が少ない」と、信玄自身が予見していたからかもしれない。
隠しきれなかった「武田信玄の死」
信玄の死後、家督は四男の勝頼が継承する。
織田信長が勢いづくのを少しでも遅らせようと考えたのだろう。信玄が「自身の死を3年の間は隠せ」と遺言を残したことは、よく知られている。自らの死期を悟って、死の隠ぺいをあらかじめ指示するとは、いかにも用意周到な信玄らしい。
だが、武田軍が突如、進撃を中止して撤退したとなれば、なにかしら不測の事態が起きたことは明らかである。家康は確証が持てないまま、駿河に出兵。遠江の各城を難なく奪っている。武田方からの反撃がないことから、家康は信玄の死を悟ったという。
織田信長が天下を手中に収める――。信長が最も恐れた信玄の死によって、そんな未来が現実へと一歩も二歩も近づいたかのように見えた。
【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
大石学、小宮山敏和、野口朋隆、佐藤宏之編『家康公伝<1>~<5>現代語訳徳川実紀』(吉川弘文館)
宇野鎭夫訳『松平氏由緒書 : 松平太郎左衛門家口伝』(松平親氏公顕彰会)
平野明夫『三河 松平一族』(新人物往来社)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』(吉川弘文館)
笠谷和比古『徳川家康 われ一人腹を切て、万民を助くべし』 (ミネルヴァ書房)
平山優『新説 家康と三方原合戦』 (NHK出版新書)
河合敦『徳川家康と9つの危機』 (PHP新書)
二木謙一『徳川家康』(ちくま新書)
日本史史料研究会監修、平野明夫編『家康研究の最前線』(歴史新書y)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)
佐藤正英『甲陽軍鑑』(ちくま学芸文庫)
平山優『武田氏滅亡』(角川選書)
笹本正治『武田信玄 伝説的英雄像からの脱却』(中公新書)
太田牛一、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
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